紀行

寅さん歩 その14
東京に こんなところ-2

平野 武宏

首都東京は徳川幕府の江戸から明治維新、そして関東大震災・太平洋戦争の被災で壊滅からの復興、1964年(昭和39年)の東京オリンピックによる街並み・交通網の再整備と時代と共にその姿を変えています。そして2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピック開催に向かって、更に近代的な姿に生まれ変わろうとしています。
「寅さん歩」で東京を歩き回っている寅次郎、「東京にこんなところもあるのだ!」と思わせる場所に出会い、感動しています。新シリーズとして取り上げ、紹介します。但し、都民暦約4年の「寅次郎基準」で選んでおりますので、ご容赦下さい。
最寄り駅は代表例です。

 ~副都心の池袋にマンガの聖地~

   
[トキワ荘のヒーロー達]

    豊島区南長崎3丁目 最寄駅 西武池袋線 椎名町駅



豊島区池袋の西部の長崎地区には昭和の初めから戦前にかけてアトリエ村(アトリエ付き借家群)がいくつも存在し、芸術を学ぶ学生たちが活動拠点としていました。
池袋モンパルナス(フランスで芸術家の集まる街)」と呼ばれ、熊谷守一など画家の住居もありました。熊谷守一旧宅跡地は今の熊谷守一美術館です。
近くの椎名町では多くの若いマンガ家が暮らしていた「トキワ荘」がありました。昭和27年(1952年)12月豊島区椎名町5丁目(現在の南長崎3丁目)に棟上げされた木造2階建てのアパートです。
手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄など昭和を代表するマンガ家達が上京し、若手時代を暮らし、ここから巣立っていきました。
「トキワ荘」は昭和57年(1982年)老朽化のため取り壊されて、現在は跡地の碑(写真下)があり、出版社が建っています。
南長崎・長崎地区ではトキワ荘のあった街として「トキワ荘通り協働プロジェクト協議会」を発足、イベントや若手マンガ家の支援などを行っています。


 [トキワ荘に住んだマンガ家達](入居期間)

手塚 治虫  大阪府豊中市生まれ (昭和28年~昭和29年)
寺田 ヒロオ 新潟県新潟市生まれ (昭和28年~昭和32年)
藤子・F・不二雄 富山県富岡市生まれ (昭和29年~昭和36年)
藤子 不二雄 富山県氷見市生まれ (昭和29年~昭和36年)
鈴木 伸一 長崎県長崎市生まれ (昭和30年~昭和31年)
森安 なおや 岡山県岡山市生まれ (昭和31年~昭和32年)
石ノ森 章太郎  宮城県登米市生まれ (昭和 31年~昭和36年)
赤塚 不二夫 中国東北地方生まれ (昭和31年~昭和36年)
水野 英子 山口県下関市生まれ (昭和33年)
よこた とくお 福島県田村市生まれ (昭和33年~36年)
      
トキワ荘通りには「トキワ荘お休み処」が設けられていて、1階ではトキワ荘関連グッズが販売され、関連したマンガ作品も読めます。
2階には当時の暮らしを再現した部屋があり、ゆかりの品を展示しています。お休み処の前にはマンガにもラーメン店として登場、マンガ家達が出前を取ったり、食事をした中華料理「松葉」が現存、マンガを読んで大きくなったファン達が立ち寄リ、貧しかったマンガ家達が愛飲したチューダー(焼酎のサイダ-割りで安く早く酔える)を飲み、ラーメンを食べて懐かしんでいます。

     



少し先に行くと公園があり、記念碑「トキワ荘のヒーローたち」(写真下)がありました。区の説明板によると「トキワ荘は昭和28年、手塚治虫が編集者の紹介で入居、家賃は三千円、押入れ付きの四畳半の部屋とのこと。
翌年、手塚は豊島区雑司が谷の並木ハウスに転居。空いた部屋の敷金をそのままにしておくからと藤子不二雄に入居を勧めます。彼らはあこがれの手塚の部屋に住めると喜んで入居。その後も次々に漫画家を目指して20歳前後で上京してきた若者が入居、寝食を共にし、互いに励まし合い、仕事に取り組み、今日の地位を築きました」と記載。



 [こぼれ話-1]手塚 治虫

本名は手塚治。通称「マンガの神様」、小学生の頃からマンガを書き始め、中学生の頃「原色昆蟲図譜」を完成させる。昭和21年(1946年)17歳の時には新聞掲載の4コマ漫画「マアチャンの日記帳」でデビュー。
その後、次々とヒット作品を生みだし「鉄腕アトム」は国産初の30分TVアニメシリーズ゙となりました。「ジャングル大帝」も代表作品の一つ。
手塚治虫の影響を受けたマンガ家は数知れず、日本のマンガ・アニメ文化に多大な影響を及ぼしました。トキワ荘から区内雑司ヶ谷の並木ハウスに移る頃は月刊誌10本近くの連載を持つ超売れっ子マンガ家だったそうです。
アニメーション作家としても活躍。マンガとアニメの違いは簡単に言うとマンガは本、アニメはTVでやっている作品と再認識した寅次郎です。
手塚プロダクションの事務所が高田馬場にあったことや「鉄腕アトム」での設定でお茶の水博士が長官を務める科学省が高田馬場にあることから山手線高田馬場駅メロの曲は「鉄腕アトム」になったそうです。


 [こぼれ話-2]藤子・F・不二雄 

本名は藤本弘。昭和26年(1951年)「天使の玉ちゃん」でデビュー。昭和29年(1954年)小学校の同級生だった安孫子素雄(のちの藤子不二雄)と共に上京し、藤子不二雄として本格的に活動する。昭和62年(1987年)にコンビを解消し、藤子・F・不二雄として児童漫画の新時代を築く。「ドラエもん」はTVや映画で大人気となる。
「オバケのQ太郎」は藤子不二雄との共著。


 [こぼれ話-3]藤子 不二雄

本名は安孫子素雄。コンビ解消後は方向性を分かち、人間心理の暗部に踏み込んだ作品、ゴルフ漫画、自伝的な作品などを生み出しました。「まんが道」では二人で初めて上京し「トキワ荘」を訪れる場面も描かれています。「忍者ハットリくん」も代表作品の一つ。


 [こぼれ話-4]赤塚 不二夫 

本名は赤塚藤雄。手塚治虫の「ロスト・ワールド」に感動、18歳でマンガ家を志して上京。荒川区の工場で働きながら、石ノ森章太郎主宰の「東日本漫画研究会」に参加。昭和31年(1956年)少女漫画でデビューし「トキワ荘」へ。「おそ松君」で人気マンガ家となります。作品に登場する強烈なキャラクター達のギャグは従来のユーモア漫画の域を突き抜けた破天荒なもので話題となりました。「天才バカボン」も代表作品の一つ。

     

 [こぼれ話-5]石ノ森 章太郎

本名は小野寺章太郎。「漫画少年」への投稿が手塚治虫にに認められる。高校在学中に「二級天使」でデビュー。
「サイボーグ009」などのSFもの、江戸武芸もの、サイレント映画のような技法など多彩なジャンルの作品を描き分けました。特撮ヒーロー「仮面ライダー」の生みの親でもあり、昭和61年(1986年)「マンガ日本経済入門」は情報漫画ブームの先駆けとなりました。

    
          
 
「トキワ荘」のヒーローたちに出会い、大人になってマンガを学び直した寅次郎でした。

次回は 江戸・東京の祭ー51(江戸らしい祭-22)です。


平野 寅次郎 拝