天文11年(1542)小笠原長時、諏訪頼重、木曽義昌、村上義清率いる信濃衆と武田晴信(信玄)率いる甲州軍団はこの地方一帯で、中世の歴史を変える大激戦を展開した。
武田軍の騎馬軍団による奇襲戦法が功を奏して、信濃衆は壊滅してしまう。世に言う“瀬沢の合戦”と言う。
北巨摩郡が、平成の今北杜市となり、長坂町はオオムラサキ蝶の舞う静かな里山となった。
平成20年7月6日(日)、私達はバス二台に分乗して、第七回「八ヶ岳高原ブルーベリーとオオムラサキの里ウオーク」に参加した。
もう七年も交流が続いていると言う“八ヶ岳歩こう会”の皆さんの「よくきたじゃん!おつかれさんで!」と元気な声に迎えられて、オオムラサキの里に降り立った。
多賀事務局長のご案内と先導で、オオムラサキの里歩きを楽しむ。あいにく八ヶ岳や、南アルプス連山は見えなかったが、夏の日差しが照りつけて暑い。
束の間の時間を割いて、ブルーベリー摘みを楽しんだ。紫色のブルーベリーを口に入れると、甘酸っぱい味が、乾ききった口中に広がり、一瞬疲れが抜けて行くような気がする。給水では、ブルーリージュースのサービスがまた嬉しい。
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多賀事務局長のご案内 |
ブルーベリーを摘む |
オオムラサキ蝶は、昭和32年国蝶に指定され、手厚く保護されてきた。この蝶は、標高千m以下の地域に住み、全国的に見る事が出来るが、ここ長坂の地が最大の生息地と言われ、山梨県の自然記念物に指定されている。今回のウオークでは残念な事に、オオムラサキ蝶に出会えなかったが、存分に里山歩きが楽しめた。
今宵の宿は、松本美ヶ原の山懐に抱かれた、藤沢市民美ヶ原休暇村「ふじさわ山荘」貸し切である。夕食後のコンパは、夜遅くまで続いた。
翌7日(月)は乗鞍高原の散策である。飛騨山脈の南端に位置する乗鞍は、富士山の誕生より遥かに古い128万年前頃からの造山活動で形成された。
たびたび噴火を繰り返し、溶岩が流れ、積み重なってやっと今の乗鞍高原が誕生したのだ。
戦国時代になると、此の辺りで発見された銀鉱山のため、精錬用に原生林は切り倒され、江戸時代に入ると、さらに暖房用に伐採が進み、草原と白樺を中心とする「二次植生林」となり、草原特有の植物群と花の高原となった。
時々太陽が顔を出す絶好の日和に恵まれて、私達は最高の散策を楽しんだ。
もちろん、この企画を立案、実施するに当たって、血の滲む様な努力をされたスタッフの方達の、苦労に感謝しなければならないと思う。
標高3、026m、残雪の乗鞍岳も顔を見せてくれたし、花たちも私達を迎えてくれたし、山菜摘みも存分に楽しめた。二人だけで歩きたくなる小径を通り、口笛を吹きたくなるような径を抜け、マイナスイオンたっぷりの白樺林を下り、源泉掛け流しの温泉に入り、車中の人となれば、心地よい疲れが全身を襲う。
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白樺林でしばし休憩 |
高山植物 ギンリョウソウ |
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