ゆっくりウォーク
渋田川の芝桜
2009年
4月22日(水

天気: 晴れ  参加者: 396名 距離: 12km
コース伊勢原駅→金山公園〔集合・受付〕→咳止地蔵→市民の森・ふじやま公園→太田道灌の墓→ 
    →渋田川〔河畔の芝桜〕→歌川遊歩道〔昼食〕→柏木牧場→子安神社〔解散〕→愛甲石田駅      

咳止地蔵が安置されている小堂前を 東海大病院を横目に見ながら
太田道灌の墓所のの前 渋田川の側道を下る
渋田川・芝桜が咲く土手 渋田川・芝桜が咲く土手
芝桜会場前の住宅の庭に咲いていた藤 愛甲石田駅近くに鎮まる子安神社

写真提供:大牟田

 前回の例会「旧小出村めぐり」が行われた4月15日のときと同じように、前日から心配された天気は、雨が未明までにあがり、夏日に近い陽光に恵まれ、400名近い参加者を迎えることができた。ゆっくりウォークは「ゆっくり」を実現するために、班体制誘導を指向することになり、今日は、ほぼ100名ごとの4班編成でのスタートとなった。スタート地点は伊勢原駅から数分の所にある金山公園である。

国道246を横切ると、梨畑が点在する郊外である。交差点・市来橋を右折し、渋田川に架かる「せきど橋」を渡った所に小さな堂に収まった咳止地蔵がある。痰咳平癒の守護仏として崇められ、その霊験は「せきどめ地蔵」の名で広く知られていたという。咳止地蔵の脇を流れる川が、今日訪ねる芝桜が咲く渋田川の上流にあたり、大山の枝峰・渋田山を源としている。程なく、市民の森・ふじやま公園に着く。休憩をとった後、東海大学病院の横を通り、同病院前から再び渋田川の側道に出て、ここから渋田川沿いに下る。暫くすすむと太田道灌公霊地と記された大きなたて看板が目に入ってくる。ここが通称、道灌の首塚といわれる墓所である。

道灌は伊勢原の生まれと伝え、文武に秀でた武将といわれ、鎌倉扇谷の上杉定正に仕えていたが、その主君により、上粕屋の上杉館で謀殺されている。その遺体は上粕屋の洞昌院とここ下糟屋の大慈寺に葬られているという。ここまでの径路は、去る3月7日に催行された大山街道シリーズ「柏尾通り大山道パート2」の本コースあるいはショートコースの逆向きとほぼ同じであった。

太田道灌公菩提寺という石柱が立つ大慈寺脇から、渋田川の左岸を下る。大慈寺から先は大山街道シリーズのコースを外れる。暫くして、小田急線の踏切を渡り、今度は渋田川の右岸を下る。田園の中の渋田川の側道を下って行けば、いつの間にか芝桜が咲く河畔に到着である。

この渋田川の芝桜は平成7年に「かながわの花の名所100選」選ばれている。県観光協会発行の冊子によれば、「伊勢原市上谷地区を流れる渋田川の土手にシバザクラが約350mにわたって咲く。このシバザクラは昭和45年頃(1970年)、地元の人が趣味で自宅前の川の土手に植えたのが始まりという。その後、周辺の人々も植栽に参加し、年々規模を拡大してきた」とある。絨毯を敷き詰めたように、色とりどりの芝桜で土手を彩るところに特徴があるという。
しかしながら、残念なことに、花の時期が合わず、鮮やかな絨毯模様を眺めることはできなかった。それとは別に、会場前の住宅の庭に立派な花房をつけた「藤」を見かけた。来月実施予定の「藤ロード」を先取りしたような感傷に耽った。

芝桜の河畔を後に、7〜800mほど東側を流れる歌川の遊歩道へ向い、ここで昼食休憩となる。遊歩道の手前は「伊勢原あやめの里」であるが、まだ、花の季節にはほど遠かった。休憩もそそくさと、数百m先にある柏木牧場へ向う。知る人ぞ知るで、ソフトクリームを求める長い列が出来ていた。

汗も引いた所で、班編成を立て直し、愛甲石田の駅へ向う。造成途上の歌川産業スクエアーを抜け、小田原厚木道路をくぐり、石田地区にありながら、伊志田という名をつけた高校の脇を通り、子安神社で解散となる。子安神社は祭神が天照大御神の親神・伊弉諾尊、伊弉冉尊であるという以外、来歴は分からなかった。
愛甲石田駅は神社から程近い所にあった。ところで、愛甲石田という駅名は厚木市愛甲と伊勢原市石田との境界線上に出来たために、名付けられたと説明された。なるほど、境界線標識が駅の中ほどにあった。〔H.O〕