六本松通り 大山道
2011年
02月11日(金

天気:雪混じりの雨 参加者:68名 距離:①12km(ショートコース)②18km(ロングコース) コース 
コース:JR下曽我駅→小田原市梅の里センター→六本松跡→五所八幡宮(昼食)→一本松跡→厳島湿性公園(井ノ口)①ゴール→小田急秦野駅前水無川河川敷(②ゴール)→小田急秦野駅  

雨のため受付は梅の里センターとなった 曽我別所梅林を散策する
曽我別所梅林を散策する 二宮尊徳遺髪塚前にて
六本松峠にてしばし休憩 五所八幡宮で昼食休憩です
久所にて 不動明王の乗る大山道標の前を行く 一本松跡、江戸時代ここには茶店があった
ショートコースは湿性園(井ノ口)がゴールです

写真:露木

 江戸時代、上方から大山を目差す道として、六本松通り大山道がある。私達はこの古道を出来るだけ忠実にたどる事にした。
ウオークの出発はJR下曽我駅前の小田原市梅の里センターとしました。雪混じりの雨のなか68名の健脚が参加し、完歩しました。
 満開の曽我別所梅林を散策しながら六本松に向かう。今日は午後から流鏑馬も予定されていたが、雨で中止となってしまった。

 町を外れて山道に入るとすぐ大山道の案内板と「二宮尊徳遺髪塚」前に出る。ここで役員の方から説明を聞いた。二宮金次郎の母はここの出身で、金次郎によって母の実家を再興してもらったお礼に遺髪をもらい受け、ここに祀ったと言う。
 「六本松峠」まで少しきつい坂を歩く。そぼふる雨の中、峠目差して黙々と歩く。晴れていれば富士山と箱根連山が特にきれいなのに、あいにく今日は雲の中。東の方向には早春の相模湾と江ノ島が輝いて見える絶好の場所であるが残念。
 ここからは大山道の核心部を歩きます。5分程行くと「忍石」の説明板があり、お堂の中には伝曽我十郎の力石があります。遙か鎌倉時代、曽我十朗祐成は仇討ちに向かう前、恋人の虎御前とここで涙ながらに別れを惜しんだと言う。また手形に似た石の窪みは、十朗の力石だとも伝えられている。

 私達は大山古道をたんねんにたどる。やがて道が明るく開けてくると採石場の傍らに出た。このあたりは砕石採取のために、大山道はすっかり荒れてしまった。藪を掻き分け、蔦に足を取られながらも、とにかく「五所八幡宮」に向かう。山道を抜け遠藤の村に入ればお宮は目の前、ここで昼食休憩となった。
 雨の中の昼食、手がかじかむがお堂の庇を借りて何とか済ます。
 このお宮、保元二年比叡山の僧 義円によって創建されたと云う。祭神は誉田別命、仲哀天皇、神宮皇后で、源頼朝全国祈願61ヶ所の一つと神社入口の説明板に書かれている。
 午後のウオークは東へ久所(くぞ)村に向かった。久所の辻には道祖神、庚申塔らの石塔群が傍らに集められていて、不動明王の乗る大山道の道しるべは特にうれしい。右「大山へ三り」「金目へ二り」天保四年(1,832)と読める。

 道は急な宇塔坂を行く、途中に弘法大師堂がある。更に急坂を上り詰めると「大山道の一里塚」の標柱に出会う。この辺りも見晴らしが良く、晴れていればここも富士、箱根連山が手に取るように見えるのであるが、今日は総てがアウトでがっかり。そして間もなく「一本松跡」だ。ここは羽根尾通り大山道と交差する尾根筋で、昭和初期までは形の良い松の古木があり、村人達に親しまれてきた。この場所は大山道の休息所として茶店があり大変賑わったと云う。現在ここには道標が二基残されている。まる石には「従是 右いいすみ 左 小田原」もう一つは、崖の上に「をだわら道 これより三里 元禄二年庚午六月吉日 此よりいいすみまで二里 かなめまで二里 大山道これより三里 相州西郡中村の内久所村」と読める。列詰めをしてすぐ出発する、寒くて閉口。

 ここからは緩やかに山を下り、井ノ口に出てショートコースは湿性公園がゴールとなった。ロングコースは一息入れたあと、羽根尾通り大山道と二宮通り大山道を合わせて曾屋(秦野)に向かう。この道は昭和初期まで軽便鉄道が曾屋まで走っていて、軽便の道でもあった。井ノ口、大竹、台町には昔駅があった表示板が残されている。湿性園から小一時間も歩くとゴールの水無川河川敷に到着した。時折雪が混じった冷たい雨であったが、何とか完歩する事が出来た。(Y・I)     完