ウオークメイト
御所見の景観4景を歩く
2011年
04月20日(水

天気:快晴参加者:80名 距離:10km
コース:慶大正門前→宇都母知神社→ビューポイント→宮原寒川社→植木の郷→目久尻川沿い→高座プール(昼食)→用田橋→中将姫川の駅→用田寒川社→用田辻バス停

ハナミズキが咲く慶大前の出発式 打戻のビューポイント、富士は見えず。
植木の郷に入って来た 宮原寒川社 新緑のケヤキ
新緑のイロハモミジ 植木の郷
植木の郷 長嶋園 菜の花いっぱい目久尻川
しだれもも 用田寒川社
 写真:八柳
 桜の花も散り、新緑の季節になろうという中、普段あまり訪れることが少ない御所見地区の景観4景を楽しみました。
スタートは湘南台駅西口からバスで約15分の慶大正門付近、10時20分出発、メタセコイヤの並木道を北西へ、15分ほどで宇都母知神社(景観3)へ到着した。この神社は、平安時代から相模国の中心として文化を形成したといわれる古い神社である。祭神の稚産霊神は養蚕・農耕の神、地元の人に厚い崇拝を受けているとか。神殿は意外に簡素というか小さかった。

鳥居前からは畑地となり様相が変わり、豚舎の匂いが春風にのってそこはかとなく漂う。今日のチーフリーダーの廣瀬さんが、藤沢随一と称賛する富士山を望める打戻からのビューポイント(景観1)へ出たが、朝方、姿を見せ期待されたものの、すでに雲の中であった。
大法寺というお寺を過ぎる辺りから、熊山園、高橋緑化園と大きな植木屋さんが続く。御所見地区は明治の末頃から植木農家が現れ、戦後盛んになったという。中原街道を横断すると間もなく宮原地区の鎮守の寒川社、拝殿は明治4年、神楽殿は昭和4年に再建されたという。大きなケヤキの木が芽を吹き始め綺麗だ。トイレ休憩する。

宮原寒川社を後に、いよいよ植木の郷(景観2)の今日のハイライトというべき長嶋園を訪れる。説明よりも写真を見ていただきたい。
長嶋園を後にその先、目久尻川に架かる戸中橋を渡り右岸を上流へ。目久尻川は相模原の相武台を水源とし、寒川町で相模川に合流する一級河川である。カワセミが見られるとのことであったが、堤防斜面いっぱいの菜の花を見ることで十分であった。(景観5)高座プールで昼食であったが、手違いがありトイレのみ借用し昼食は敷地外でとなった。

12時15分出発、新幹線のガード下を通り、川沿いを先に進み用田橋、橋を渡って左岸へ。中将姫川の駅という所で休憩、江尻さんのウォーキング教室。
道の駅のように地域の特産物など販売している所かと思ったが、地元の人によって日曜日のみフリーマケットが開催されている所であった。
このあと、中将姫祠という所を経由したが、「中将姫とは」「中将湯との関係は」というご質問を数人の方から受けましたが、お答えできませんでした。この欄を借りてお答えします。
「奈良時代、藤原鎌足の曾孫、藤原豊成と紫の前の間に生まれた姫は母に先立たれ、継母に虐待された。成長した姫は大和・当麻寺で出家して尼となり蓮糸で大曼荼羅を織り二九才で亡くなった。能や浄瑠璃にもなっている姫がこの地に居た事があるといわれ年1回、三月に中条地区の人が集まってお祭りをする」(教育委員会「藤沢市文化財ハイキングコース)
中将姫が最初に身を寄せた奈良の津村家には代々伝わる秘伝の婦人薬があった。初代、津村が姫に因んで「中将湯」と名付けた。(ツムラのHP)

最後は用田の鎮守、用田寒川社を訪ねた。先に訪れた宮原の寒川社、いずれも武田信玄と北条氏の戦いの際、信玄は寒川の寒川神社の「御霊」を宮原と用田に移し、寒川神社に火を放ってかがり火に使ったといわれる。木立を抜け、大山街道に出た交差点の用田の辻がゴールでした。バスで長後、湘南台へ向った人、歩いて帰られた人、いずれもご満足の様子でした。(Y・Y)