ゆっくりウオーク
江の島道
2011年
05月24日(火

天気:雨のち曇り 参加者:155名 距離:13km
コース:藤沢駅→遊行寺→藤沢市役所前江ノ島道道標→奥田公園(昼)→巌谷不動→諏訪神社下社→密蔵寺→常立寺→境川・江ノ島河口(ゴール)


片瀬小学校前の江の島道道標 国道467号線際にあった江の島道道標
大鋸町の船玉神社前を行く

遊行寺境内を通る

庚申堂前を歩く 市役所前の江の島道道標前で説明を受ける
巌谷不動尊にて 諏訪神社下社にて
密蔵寺の愛染かつらの木で説明を受ける 常立寺の伝元使塚前でお参り

写真:池内

 朝から雨であったが午後から晴れる、との予報でウオーク実施となったが、雨にもめげず155名のウオーカーが江の島道ウオークを楽しみに駆けつけてくれた。
 杉山検校(1610-1694)は元禄二年(1689)藤沢から江の島まで48基の道標を建立した。今、現存14基のうち9基を丹念に訪ね、合わせて道筋の名所旧跡、社寺仏閣の案内もコースの中に採り入れながら、じっくり解説してくれると言う欲張りなウオークとなった。

 30名ずつ5班に分けてゆっくりと歩く。先ずは雨の中を境川に沿って旧鎌倉道を遊行寺に向かう、鎌倉時代船着き場があったと言う大鋸町の「船玉神社」を横目に歩を進め、時宗総本山の「遊行寺」に着く、雨に濡れた境内はひっそり、樹齢700年と言われる大銀杏の若葉が目に眩しい。
 境川に架かる旧東海道の赤い欄干遊行寺橋を渡ってすぐ左折する、江の島道の始まりだ。
天保十年(1839)刊「江之嶋まうで浜のさざ波」では・・・この橋を渡り左のかたに銅の大鳥居あり、これ則ち江之嶋弁財天の鳥居にして、江之嶋の入口これより始まる・・・と記されている。
今はその鳥居もなく、礎石が遊行寺の宝物館前に展示されている。

 江の島道は国道467号を外れ、旧道を藤沢駅方面に向かう。市の文化財に指定されている庚申堂の石仏達の説明を聞きながら市役所に向かう、市役所通路脇に道標が三基置かれている。検校の道標には梵字の下に「ゑ能し満道」、側面に「一切衆生」「二世安楽」と太く陰刻されている。すべての人が現世でも来世でも安楽に暮らせるようにと、願いが込められていると言う。
 道はJRの鉄路を地下ガードで潜り、真っ直ぐ南に向かう。やがて小さな「石上公園」前に出る、江戸時代はこの辺りまで境川が来ており、石上渡船場があったと言う、今は河川も改修され、川筋は遠ざかった。雨が未だ心配なので、奥田公園隣の市民ホール前で少し早めのお昼にする。

 雨の上がった午後は一転快適なウオークとなった。「大源太の辻」を通り、「馬喰橋」を渡って「巌谷不動」に向かう。弘法大師が掘ったと言う巌谷に1744年快祐上人が入滅したと云う。今でもその厳かな風情がかすかに残る。
 723年信濃の諏訪大社から分霊した諏訪神社下社にお参りして「密蔵寺」に向かう、このお寺は由来よりも木暮実千代の「愛染かつら」で有名な桂の木が植樹されているのだ。密蔵寺は真言宗のお寺で、弘法大師の石造が30体並べられているのがめずらしい。
 「一遍上人地蔵堂跡」にも寄り、きっちり説明を聞いて「常立寺」に向かう、このお寺は文永の役、弘安の役で有名な蒙古来襲の舞台だ。チンギス・カン率いるモンゴル軍は日本に降伏を迫る、幕府北条時宗は龍の口で元の使者の首を刎ねて答える、モンゴルは900隻の艦船と14万の兵で日本を襲う、戦闘は二ヶ月程続くが台風のために壊滅してしまう、日本はアジアでインドを除き唯一モンゴルの支配が及ばない国であった。
 今、日本に在住するモンゴル人達は必ず彼らに香華を手向ける、首に掛けた青い布は「ハダク」と言い、父なる天空の青を意味する。
 西はドナウ川から、東は朝鮮半島まで広がる広大な帝国を築いた彼らの末裔にとって、チンギス・カンの名は民族のシンボルそのものなのである。
 ここまで来れば江ノ電の踏み切りを渡り、商店街を抜けてゴールの境川・江の島河口へは目と鼻の先だ。(Y・I)