ゆっくりウオーク
伊勢原の花菖蒲
2012年
06月15日(金

天気:晴れ 参加者:348名 距離:12km 
コース:小田急線伊勢原駅→千津ふれあい公園→十二柱神社→丸山城址公園→御岳神社→菖蒲の里・歌川公園(昼食)→子安神社(解散式)→小田急線 愛甲石田駅

十二柱神社前を歩く 丸山城址公園でトイレ休憩
白川郷の職人達で葺かれた高部屋神社 高部屋神社前の大山道を行く
渋田川沿いにあやめの里に向かう 田植えが終わったばかりの畦道を歩く
あやめの里に到着  いずれが菖蒲か杜若
あやめを愛でながら昼食 柏木牧場の牛丼がまた美味しい

写真:池内

 梅雨の最中、幸い貴重な晴れ間に恵まれ少し暑ったが、348名もの参加者を得て史跡あり、田園風景あり、里山あり、あやめありの快適なウオークを楽しんだ。
 出発は駅から10分程の千津ふれあい公園、この公園小さいながら泉水もあり、木陰もあり、集合場所には最適な公園であった。
 入念なストレッチのあと私たちは伊勢原の町中を抜けて、十二柱神社(とうふたはしらじんじゃ)に向かう、この社の読み方が珍しいが早い話、天御中主神、高皇産火神等十二の神達を祭っているから名付けられたと言う、古来より武将の厚い崇敬を受け、徳川時代免田(税を免れる)を受けている由緒ある神社だ。
 私達は国道R246号(矢倉沢往還)を越えて市米橋で渋田川沿いに歩くと、やがて新たに造成された丸山城址公園に到着した。
隣に鎮座する高部屋神社への遊歩道は現在工事中で通行出来ず、迂回して高部屋神社に到着、此のあたり一帯は中世の城跡(砦跡)で、平安末期源頼朝の御家人の一人糟谷左衛門尉有李という武将がこの地を治めていた、丸山城は有李の居城であると云う。

 新編相模風土記稿によると「・・・西北の方にて八幡境内(高部屋神社)より社領の地に係り、東西百十余間其のあたりを殿が窪と字せり、四面に堀の遺形あり按ずるに此の地有李の居館とのみ云う・・・・」と記述されている通り鎌倉、室町期の重要な拠点であったに違いない、太田道灌も丸山城に関係していると言われている。
 高部屋神社は相模の国13社の一つで、糟谷荘総鎮守として崇敬されてきた、創建は延喜式神名帳に記載されている古社である。鎌倉時代有李が守護神として社殿を造営した、至徳三年(1386)平秀憲が寄進した銅鐘は県の重要文化財に指定されている。大正年間関東大震災で壊れ、昭和4年に再建された、本堂の茅葺屋根はつい最近葺き替えられた。茅は御殿場産、職人は岐阜白川郷の人たちで葺いたという、費用は2千万円弱、16日に竣工式を行うと神社の関係者の方が言っていた。壮麗な茅葺屋根である。高部屋神社の前の道は大山街道で、矢倉沢往還と柏尾通り大山道の道が交差する要衝の地にある。

 道は高部屋神社の先で右折しまた渋田川に出て川沿いに歩く、川向うには太田道灌ゆかりの大慈寺の甍が見えるが、今日は先を急ぐので説明はまたの機会に譲ろう、小田急小田原線の踏切を越え、田植えの終わったばかりの畦道を歩く、青田が目にしみる。
 あやめの里の喧騒が聞こえてくるようになると、ひょっこり菖蒲畑に出た、満開の菖蒲、杜若のお出迎いだ、ここで昼食休憩とする、あやめを愛でながらの食事も良し、歌川公園での食事も良い、柏木牧場でおいしいソフトクリームがまた楽しい、ここのハンバーグは安くて飛び切り美味い。
 午後は一気に北へ道をたどり、ゴールの子安神社に向かった。素晴らしいコースを歩かせて頂いた役員の方々の苦労に感謝しつつ家路についた。(池内淑皓)