ゆっくりウオーク
村岡の七福神
2013年
01月25日金)

天気:晴 参加者:362名 距離:10km 14km
コース:奥田公園→川名御霊神社(福禄寿)→宮前御霊神社(寿老人)→高谷大神宮(大黒天)→日枝神社(弁財天)→柄沢神社(恵比寿)→柄沢公園(昼食・@ゴール)→荒神神社(布袋和尚)→弥勒寺(毘沙門天)→若尾山公園(Aゴール)→藤沢駅 
奥田公園 出発式 川名御霊神社へ急な上がり
宮前御霊神社へ 宮前御霊神社前のタブの大木
高谷大神宮への急な階段 日枝神社への階段
柄沢神社 柄沢公園で昼食
荒神神社 弥勒寺

写真:露木

今年1回目のゆっくりウォークとあって、奥田公園には大勢の参加者(362名)が集合した。天気はよかったが頬を切るような冷たい北風が一日中吹き荒れ、帽子を飛ばされる参加者があちこちで見受けられた。「村岡の七福神」と銘打っての例会は当協会としては初めてであり、(お正月に村岡地区では開催されている)2010年1月に「村岡の寺社めぐり」、2011年1月に「村岡歴史の道」として例会を開催しているが、いずれも七つの神社全てを巡ってはいない。
本日の例会は10q(五福神)の班と14q(七福神)の班(1班〜4版)に分けて10時15分にスタートした。いずれも昼食場所の柄沢公園までは同じ行程で進み、昼食後、10qの班はここで解散、14qの班はあと二つお詣りして若尾山公園で解散という行程であった。

福禄寿像 寿老人像
奥田公園を出て、境川右岸を少し遡り、新川名橋を渡り、県道32号線を行き、信号「御霊神社」を右折すると最初の神社「川名御霊神社」(福禄寿)に到着(10時30分)。コース案内のとき、村岡の七福神の多くが高い場所にいますので、との説明があったが、そのとおりでかなり長い上りの石段があり、上まで行かれた参加者は半分くらいだったかもしれません。この神社は941年創立、早良親王(桓武天皇の同母弟)と鎌倉権五郎影政を祭神としている。
再び32号線に戻り、信号「川名」を左折(下は柏尾川)、右に「佐賀鉄工所」を見て、東海道線脇を少し行き、住宅地を進むと二つ目の神社「宮前御霊神社」(寿老人)に到着(11時)。鳥居を潜ったすぐ右に「タブの木」があり、幹周り4.81mで藤沢市南部地区随一の大木と言われている。この神社も上りの急な石段の上にあり、歴史も古く、貴重な文化財も保存されている。また、社殿左手に天然痘を治す痘(疱)瘡神(姥神)の石碑があり、右手にはもと兜山にあった七面堂と矢竹稲荷が祀られている。村岡五ヶ村(高谷、小塚、弥勒寺、宮前、渡内)の総鎮守となっている。


大黒天像 弁財天像
神社の裏山の林を抜けて「神戸製鋼」横を行き、東海道線に出て、線路下を通ると「武田薬品」の近代的な建物の前にでた。左折すると今日初めてのトイレ休憩場所「ミズノフットサル」に到着(11時20分)。休憩後広大な「武田薬品」の横を行き、3番目の神社「高谷大神宮」(大黒天)に到着(11時30分)。ここも長い石段があり、創立は1650年、祭神は天照皇大神、五穀豊穣と農民の安穏を祈念した高谷地区の鎮守といわれている。この辺りは数千年前までは海だったと考えられています。ここを出て緩い上り道の住宅街を行くと、4番目の神社「渡内日枝神社」(弁財天)に到着(11時45分)。この神社は住宅地に建てられており、久し振りに石段が少なく、周りに緑も少ない今までの神社と様相が異なっていた。平 良文が屋敷の守護神として日枝大神を祀ったとされる。

恵比寿像
神社を出て、だらだら上りの住宅街を暫く行き、県道302号線(小袋谷藤沢線)にぶつかり、左折、慈眼寺近くを右折、「リンガーハット」の前の県道312号線の陸橋を渡り、5番目の神社「柄沢神社」(恵比寿)に到着(12時10分)。この神社の祭神は天照皇大神、第六代考安天皇である。境内には立派な鐘楼、十数基の石造物が行儀よく並んでいた。午前中の神社はここが最後である。昼食場所の「柄沢公園」には12時30分頃到着。陽射しはあるものの、相変わらず冷たい北風が吹き荒れる中、みんなそれぞれ弁当を広げてのランチタイムとなった。

布袋和尚像 毘沙門天像

ここで10qの班は解散となり、13時に14qの班がスタートした。
藤が丘中の脇を行き、県道312号線に平行した道を暫く進み、信号「弥勒寺」を左折、312号線の下を抜けて、信号「小塚」を右折し、少し行くと右に6番目の神社「小塚荒神神社」(布袋和尚)に到着(13時25分)。祭神は奥津彦神、当地に住む小塚五左衛門が子孫安泰を願い、一族の守護神として小祀を建てたとされている。以来小塚地区の鎮守となった。境内は狭く、布袋和尚の裏は民家が迫っていた。ここを出て、312号線の高架下を少し行くと、最後の神社「弥勒寺」(毘沙門天)に到着(13時40分)。このあたりの地名の由来ともなった古い寺で、1226年北条泰時が父義時の菩提を弔うために創設したと伝えられている。

ここを最後に解散場所の若尾山公園に向かい、14時には無事解散となった。一日中冷たい北風の中、しかもかなりのアップダウンのある七福神めぐりであり、みなさんお疲れ様でした。(文中の歴史に関する記述は「むらおか歴史の道」を参考にした。)(露木照久)