ウオークメイト(歩友会)藤沢市後援
わがまち ふじさわの景観130景を歩く
 村岡の景観めぐり
2013年
11月29日金)

天気:快晴 参加者:135名 距離:10km
コース:藤沢駅北口サンパール広場→柏尾川左岸→神光寺・横穴古墳→川名清水谷戸(景観2)→宮前御霊神社・鎌倉古道(景観3)→ミズノスポーツクラブ→村岡城址公園(景観5)→高谷市民の家→二伝寺(景観6)→日枝神社(景観7)→渡内バス停(解散)

サンパール広場での出発式 市役所新館横に集められた江之島道標
神光寺横穴古墳群 藤沢三大谷戸の一つ川名清水谷戸
川名大池へ向かう 池はどうでしたか
御霊神社前榎木の古木を見る 参道は女坂を上る
鎌倉道古道が僅かに残る 電車から見られる崖を近くで見る
真新しい二伝寺山門 二伝寺の紅葉
二伝寺の竹林 日枝神社から富士が観られましたが

写真:八柳

朝方5度、今秋最低気温を記録し参加者の出足が懸念されたが、予想を上回るこのウォーク始まって以来の参加者がありシールに不足が出て主催者をあわてさせた。藤沢市の後援を受けているウォークとあって、街なみ景課長の挨拶、8月以降の60景観歩者16名、10月100景観歩となった10名に対し市の表彰があった。
10時20分頃、北口サンパール広場を出発。道にあってこその道標だが、杉山検校が建てた江ノ島道標が市役所新館脇に集められていた。せめてどこにあったものかを表示してほしいものだ。OKの先の角を左折して境川沿い、大道橋を渡り線路と平行した道、川名橋を渡り人通りの少ない柏尾川左岸を歩き32号線を横断して川名清水谷戸へ向かった。途中の川名御霊神社は村岡七福神福禄寿であるが通過、神光寺脇崖下斜面の奈良時代のものと言われる横穴古墳を見学した。横穴古墳戦後まで片瀬・川名地域の山腹には数多くあったと言われるが、開発によって6穴のみ残ると言う。そのうち4穴は住宅に裏にあり2穴しか見られなかった。

その先が藤沢三大谷戸の一つ川名清水谷戸、面積は約10ha、ここはかつて水田であったが耕作放棄地となり、今は一面ススキが生茂る荒地となっている。谷戸を一周する道がないので、先端にある川名池まで往復する。
弥勒寺方面から来る高架線312号線の終点の川名東橋を渡り村岡地区へ。因みに川名東橋から先の川名緑地、片瀬山をトンネルで通り新屋敷橋付近に出る道路計画があるが、緑地の環境保全運動があり中断しているという。

東海道線に沿って宮前御霊神社へ。村岡五ヵ村の総鎮守、鳥居脇のタブの木は市南部地区随一の大木、幹は空洞、幹回り4.8mとあった。神殿へは石段を上る参道とその脇に女坂があったが女坂を上った。神殿の裏山は旗立山といい、前九年の役(1056)の出陣に当たり源頼義がこの山に白旗を立て軍勢を集め、その子義家も後三年の役(1086)の時に同じことをした所と伝えられるとの案内があった。
神社の裏山を下って行くと、僅かに往時の面影をとどめる鎌倉古道(上の道)があった。さらに下って東海道線を横断する跨線橋を渡る。橋からは富士山が観られた。電車から見られるミズノで休憩、トイレに時間をとり12頃出発。武田薬品研究所の横の坂道を上る。途中、村岡城址公園に立ち寄る予定であったが、工事中であったため通過して高谷下公園へ。12時半、ランチタイム。

1時から高谷市民の家でウォーキング教室・表彰があって、近くの浄土宗二伝寺へ。お寺は最近建替えられたようで新しい。山門前の案内板によると、戦国時代の永正二(1505)年、玉縄城主北条氏の発願により開山された寺、旧鎌倉街道に沿っていたので玉縄城の砦の役割も担うため創建されたとあった。竹林が景観であったが、この季節は紅葉の方が見事であった。
二伝寺から日枝神社へ、この神社は一帯の宅地造成の際に建て替えられたようで、庚申塔や道祖神塔が石段右側に集められ一列に並んでいた。社殿は高台にあるので上って見たら、これも新しい弁天様が祀られていた。その後、下り坂となり渡内バス停で解散となったが、健脚の人は藤沢まで歩いた。日中気温は13〜14度くらいにしか上がらなかったが、風もなくよいウォークであったでしょうか。(八柳修之)