遊行寺と藤沢宿 その1

八柳 修之

 


少人数ならば、小栗堂の庭園を見たあと、本堂の裏手、墓地の中を通ると歴代御上人廟所宇賀神社への小道がある。下って来ると、本堂左手に鐘楼がある。梵鐘は延文元年(1365)の銘がある県指定文化財である。

右手が放生池元禄7年(1694)五代将軍徳川綱吉の時代(168017099「生類憐みの令」により、江戸中の金魚・銀魚が集められ、この池に放たれたという。毎年、春季開山忌(海上人忌)には放生会が行われる。

放生池には藤沢メダカが放流されている。池の渕には3月中旬に咲く白木蓮は東国花の寺百ヶ寺である。



裏門から出る形になるが、中雀門(ちゅうじゃくもん)から出る。

「中雀門は安政年間(185460)に建造された。遊行寺は創健以来、たびたび火災に遭ったが、この中雀門は明治12年(1880)の大火災の際にも焼失を免れた境内で一番古い建物である。大正12年(1923)の関東大震災に倒壊したが、そのまま再建され、今日に至っている。向唐門造りで、高さ6m、幅2.7m、側面の大棟に菊の御紋、屋根の下に徳川家の葵の紋がある」(藤沢市教育委員会案内板、一部デスマス調を改めた)


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宝物館入口前に江ノ島一の鳥居の袴石がある。これはもともと遊行寺橋(大鋸橋)の袂にあったもので、一の鳥居の基礎石であった。

歌川広重の「東海道五十三次」に描かれている。