藤沢近辺で個人で歩けるコースの紹介です、HPひろばから再編集して掲載しています


   関東ふれあいの道を歩く(5-1)  神奈川(⑤稲村ヶ崎・磯づたいのみち)

池内 淑皓
今、私は関東ふれあいの道を歩いています。
 2019年3月三浦海岸の松輪から歩き始めて、神奈川県と東京都の道を歩き終え、現在埼玉県を歩いています。今回FWAのイヤーラウンドコースに近い葉山から、鎌倉滑川まで紹介したいと思います。
    
関東ふれあいの道、神奈川県の全歩行ルート概念図


 2019年4月19日(金)晴れ。大潮の日を狙って歩く、鎌倉時代築港跡の和賀江嶋を確認したいからだ。 前回ゴールした「葉山一色バス停」から歩き始める。バス停の前はご存知「天皇家の葉山御用邸」そして隣の「しおさい公園」は大正天皇がここで療養し、崩御された御用邸の一部でもある。場所が場所だけに簡素にして昔ながらの風情を残す街道となっている。通称三崎街道(県道207号線)を北上する。
御用邸近くの三崎街道、
往古の風情が残る
 
 芝崎漁港前に出ると海岸沿いの道となり、潮の匂い
が鼻腔をくすぐる、夏ともなれば、突端の鮫島の岩礁地帯で磯遊びをする人達で賑わう場所。やがて赤い鳥居が見えて来た、バス停前にある森戸神社だ、この社「森戸大明神」とも云う。 祭神:大山?神、事代主神で、源頼朝が三嶋神社の分霊を祀ったと云う。三浦、北条、足利氏の崇敬も篤い。 境内を散策すると石原裕次郎のレリーフがあった、裕次郎はここ葉山と逗子をこよなく愛し、岩礁の先に灯る白い灯台は裕次郎寄進と云われる。碑文には
  “夢は遠く 白い帆に乗って 消えてゆく
          消えてゆく 水のかなたに”
と刻まれていた。
森戸神社境内に刻まれた
「石原裕次郎レリーフ」
 
 葉山マリーナを過ぎ逗子海岸の波打ち際を歩く、人気のない砂浜を一人独占して歩くのも乙なものだ。ピンク色の桜貝を拾うことも出来る。

 海際に立つ「不如帰」の碑に出れば道は国道134号線となり、ここから先自動車専用道路で、歩行者は通行出来ないから、遊歩道を利用して披露山公園を抜け、小坪海岸に出る事になる。

 小坪は小さな港であるが「リビエラ逗子マリーナ」のリゾート風マンションが素敵なロケーションとなっている。道の両脇にフエニックスが植えられている遊歩道を散策しながら、鎌倉の和賀江嶋に向かう。県道のトンネルを潜らず、磯伝いに歩くとひょっこり鎌倉材木座海岸に出る。和賀江嶋はその傍らに位置している。

 今日は大潮、和賀江嶋が良く観察出来る。傍らには 大正時代地元青年団が建て
大正13年地元青年団の建てた
「和賀江嶋」の碑と築港あと
た説明の碑が建立されている。碑文を読むと“和賀とは、今の材木座の古名なり、此の地往古筏木運湊の港なりしより、やがて今の名を負うに至れるなり。和賀江嶋はその和賀の港口を扼する築堤を云い・・・・・”

 和賀江嶋は国指定史跡で、鎌倉時代の築堤跡なのだ。貞永元年(1232)第三代執権北条泰時の援助を受け平盛綱が築く。日本に現存する最古の築港遺跡で、江戸時代まで使用された。 磯に降りて築堤跡の玉石の上を歩いてみよう、大潮の時のみ顔を出す築堤、昭和の頃はこの浜辺で江戸時代の陶器片を拾うことが出来たと云う。今はイイダコ(飯蛸)が良く採れる。

 砂浜に降りて波打ち際を歩いて行く、此の辺りは少し波が高くサーフィンには絶好のポイントともなっている。

 鎌倉朝比奈から流れてくる滑川の河口が見えてくると今日のゴールが近い。

                              この項完

関東ふれあいの道を歩く(5-2)神奈川(⑤稲村ヶ崎・磯づたいのみち)に続く