寄り道 道草3
山本公園
   境川の右岸を江ノ島方面に向かって歩き西浜橋を過ぎると、やがて右手に松林が見えて来る。トイレがあるので立ち寄ったことがあるウォーカーもおられるであろう。公園には子供の遊具、奥にはテニスコート2面あるが、高く伸びた松の樹木は公園全体を薄暗くし、昔からあった公園であることを示している。
山本公園
山本公園

   公園の中央に「大望の像」という彫像がある。台座には大略こう書かれてある。「この地は明治中期まで片瀬砂漠と呼ばれ砂丘が連なる寂寥たる荒無地であった。しかし気候温暖で遠く江ノ島、鎌倉を望み相模灘を俯瞰する景勝の地であることに着目して、山本家当主山本龍太郎氏の祖父庄太郎氏並びに父百太郎氏はこの開拓を志し小松を植え堤を築き、その間、50有余年の歳月を費やし今日の見事な環境を造りあげたのである。・・・・昭和32年藤沢市はこの土地を都市計画公園に決定、昭和37年公園築造について山本龍太郎氏の承諾得、昭和43年完成、公園完成を記念して山本龍太郎氏から彫像が寄贈された・・・・」とある。この公園、元は山本さんの私有地であったのである。近くに掛かる山本橋の名も山本さんに由来するものであろう。

   ところで、山本さんから寄贈された「大望の像」という彫像を見るところ、山本家はかなりの資産家であったと想像にかたくない。調べてみると山本庄太郎は常立寺の周辺から片瀬一帯にかけての地主で、鎌倉郡の郡長を勤め、のち県会議員になったお人である。鵠沼から江ノ島に至る砂浜を払い下げてもらい、独自の植林方法により住宅地の造成に成功した人であった。

   そして庄太郎は、あの寺院風の片瀬ヨセフカトリック教会の建立にも深く関わっていたのであった。庄太郎が偶々明治20年、海水浴に来たフランス人一行に家を貸したことが縁で、カトリックの暁星中学に次男信次郎を入学させた。信次郎はフランス語、英語を学び卒業後は海軍、外交官の道を進んだ。ここではその業績については割愛するが、信次郎は16歳のとき洗礼を受け、信仰篤いカトリック教徒であった。大正8年に山本家の一部屋に仮聖堂が設けられミサが捧げられ、これが片瀬教会の始まりであった。

出典:http://www2s.biglobe.ne.jp/~matu-emk/yamamot.html
(10・10 八柳