寄り道、道草
密蔵寺の愛染かつら
リバーサイドコースを江ノ島方面から州鼻通りを貫け、順路では常立寺先を右折し、本蓮寺前から湘南白百合の脇の坂を登るのだが、常立寺前を直進し、片瀬公民館の先の密蔵寺に寄り道してみよう。この密蔵寺は真言宗、相模国準四国八十八箇所のうち十七番札所、境内右手には小さな弘法大師の石像が三十体あまり鎮座している。(現在は本堂、庫裡、新築工事中 竣工17年5月)

イヤーラウンドウォーカーならば、すでに寄り道をしてご覧になったことであろうが、中央に一本の木がある。小暮実千代が植えたかつらの木、「愛染かつら」という。ガイドブックなどによると、この寺が愛染明王を}り、それにちなんで「愛染かつら」が植えられたという。(藤沢市教育委員会発行「藤沢市文化財ハイキングコース」)

ではなぜ小暮実千代がかつらの木をここに植えたのであろうか。戦前、「愛染かつら」という映画や歌がヒットしたことや女優小暮実千代の名前くらい知っている。だがそれ以上のことは知らない。調べてみると、「愛染かつら」は川口松太郎の昭和12年の小説、13年映画化され、主題歌「花も嵐も 踏み越えて〜」は作詞西条八十、作曲は万城目正である。川口が谷中の自性院の愛染明王前にあった桂の老木にヒントを得た作品、「金持ちのボンボンの医師(上原謙)とコブつきの看護婦(田中絹代)の叶わぬ恋の物語、恋仲の二人が自性院の桂の前で、願い事を書いて木に結ぶと願いが成就すると聞いて願をかけたが悲恋に終る」というストリーである。辞書を引くと、愛染明王は三目六手をそなえ、怒りの相を表わし愛欲を支配する神である。小暮実千代は看護婦の一人としてチョイ役で出ただけであったが、それが彼女のデビュー作となった。

小暮が松竹に入社した当時のスターには高峰三枝子水戸光子桑野通子がいたという。私は高峰三枝子の顔は覚えてはいるが後の二人は名前だけしか知らない。その後、小暮は中国に渡り、戦後、青い山脈、雪夫人絵図、自由学校などに出演した。小説は読んだことはあったが映画は観ていない。記憶にある小暮実美千代といえば、マダムジュジュという化粧品のCMに出演し、口元に黒子があったことくらいである。

ところで本題に戻る。小暮実千代と密蔵寺との関係である。お寺に立ち寄り、ご住職の奥さんからお話を伺いました。「小暮実千代がまだ日大在学中の頃、江の島カーニバールのお芝居に弁天様の役で出演したことがあり、そのとき密蔵寺で合宿したことがございました。メンバーには三木のり平や栗原小巻のお父さんもおったそうです。弁天様の演技が松竹の関係者の目にとまり、これがきっかけで松竹入社したそうです。そのことを知った先代の住職が、昭和32年、小暮実千代にお願いし、愛染明王を祀るご本堂の前にかつらの木を植え愛染かつらと命名したのです。植樹した当時は1メートールにも満たない木でしたが、今ではご覧のとおりです」と懇切にご説明いただきました。

小暮も高峰も2000年にともに72才で文字通り星となってしまった。だが、小暮が植えた愛染かつらの木は成長し続け、そして成長とともに小暮の名もやがては忘れ去られていくのであろう。      (12・7 八柳