寄り道・道草15

遊行寺一里塚

 リバーサイドコース、遠回りの寄り道です。
寄り道するほどの価値があるか、ということになると疑問符が付きます。
藤沢橋から戸塚方面へ向かって遊行寺東門の先、約200メートル、遊行寺坂の中ほどの左側に一里塚跡の標柱が立っています。
東海道五十三次の藤沢宿は日本橋を起点にして六つ目の宿場で、六つ目の一里塚が遊行寺坂の中腹にありました。
3001一里塚
 現在では、写真のようにたった一本の 「一里塚跡 藤沢市教育委員会」とある標柱が立っているだけで、面影どころか、なんの案内板もありません。 どうしてでしょうか。

 遊行寺坂は箱根駅伝の難所の一つとなっていますが、調べてみると、「江戸時代にはさらに馬の背のような急坂であったようです。この坂を上るときは、乗り物に乗って来る人は降りて歩いてもらったり、「立ちんぼ」 と呼ばれる駄賃稼ぎの人たちに荷車を押してもらいました。今の遊行寺坂は二度掘り下げたもので、当時に比べれば、これでも緩やかになった坂のようです。」

 道の両側が切り通しのように崖になっており、見上げるとその上に家が建っているので、かつての高さが偲ばれます。さらに現在、一里塚跡の反対側の斜面を切り取って墓地の造成工事が行われています。

 郷土史家の平野雅道さんの「藤沢宿史跡ガイドブック」によると、「遊行寺坂は当時道場坂といい急勾配、一里塚あたりが頂上で、榎が三本あった」 ということです。また、一里塚にエノキが植えられたのは「家康が担当役人の大久保長安に「よい木を植えよ」 と言ったのを聞き違え「榎木」 にしたという伝説がある」 そうです。

 原宿から影取をへて遊行寺の坂にかかる辺りは、かって八丁並木と呼ばれ、並木が美しい所であったようです。 旅人は、 一里塚を行程の目安として、その木陰を休憩場所としました。

 イヤーラウンドウオーカーのみなさんは、どこで休憩をとりますか 
これから、夏場に向かいます。休憩と十分な水の補給を、そんなことは 100 もご承知のことでしたね。
参考文献:「藤沢の地名 日本地名研究所編」     (5・23 八柳)