寄り道・道草 18

旧近藤邸


旧近藤邸 手前の木は市の木 「黒松」

旧近藤邸内部 暖炉のある居間兼食堂
 アイランドコース、行き帰りいずれでも道草できる秩父宮体育館前にある旧近藤邸を立ち寄って見ました。外観から判断して、中に入ってご覧になられた方は少ないと思います。
近藤邸は大正14(1925)、近藤賢二が辻堂東海岸の松林、敷地3000坪の中に別荘(1階173u、2階27u)として建てたものです。近藤賢二没後、所有者が代わり、老朽化のため取り壊されるところでしたが、保存を望む市民、建築家の運動が実り、市によって移築保存が決まり、昭和56年(1981)に市民会館・秩父宮体育館前の現在の場所に移築されたものでした。
設計者は遠藤 新(あらた)、大正3年東大卒業後、帝国ホテル旧館の設計で知られるアメリカ人の建築家ライトに6年間師事し、のち日本の生活と風土、和洋それぞれの効果を合わせた独特の様式を編みだした人でした。
近藤別邸は彼が36才のときの設計で、遠藤はこのほか自由学園の講堂や校舎など重要文化財、歴史的建造物に指定されている建築物多数を設計している。
また平成元年、かながわの建築100選にも選ばれています。
うんちくは、さておき中に入って見ましょう。おっと、簡単には入れませんでした。市民会館の受付で氏名、住所等申し出て鍵を借ります。(見学時間は9時〜午後5時まで、月曜日、休日の翌日、年末年始はお休み)
玄関を入ると右手の大居間兼食堂(今流LD16畳はあるでしょうか)に圧倒されます。近藤には11人もの子供が居ったのでした。この部屋のポイントは暖炉で、移築にあたり苦労したようですが、現在でも燃える暖炉として復元使用されています。この部屋の奥は床の間のある10畳の和室があります。玄関の左手突き当たりが台所、その右隣が女中部屋、奥が二面出窓のある8畳の和室、台所の左側が洗面所、トイレ、脱衣所、浴室(現在は物置)、そして2階には8畳の和室、サンルーム、極めつけは大バルコニーです。近藤は週末このバルコニーでビールを飲みながら子供たちと過ごしたのでしょうか。
 ところで、この気になる近藤賢二という人はどんな人だったのでしょうか。明治7年兵庫県淡路島生。同志社大学卒後、北海道の牢獄教戒師となるが、その後、後藤新平台湾総督の秘書官を務め実業界に入り、近藤邸建設当時は朝日石綿工業はか数社を経営していた。週末には東京の自宅から来て、子供たちとこの別荘で過ごす時間を大切にしたという。
旧近藤邸、今度、訪問されてはいかがでしょうか。ちなみに入館は無料です。
(参考資料:藤沢市作成 「旧近藤邸、パンフッレト」 より要約     6・28   八柳)