寄り道・道草 23


アイランドコースを時計回りに歩き、江ノ島からの帰り道、片瀬山住宅地の坂を登りきると片瀬山北公園がある。正規のルートは公園の角を左に曲がって坂を下るのだが、公園の鉄塔の脇から樹木の中の散策路を通って新林公園正門へ出ることができる。
この新林公園、面積16.2ha、といってもぴんとこないが、東京ドームの約4倍、行ったことがある人でなければ実感が沸かないが、藤沢市最大の総合公園なそうだ。
古民家裏、片瀬山北公園に通じる散策路にある公園案内図、右手奥、草木に覆われているが、石を採取下跡が見られる。
その大部分は里山の面影を残す森林や池(川名大池)、湿生植物園、鳥獣保護区であるが、憩いのための芝生広場、藤棚、子供のための冒険広場、そして、移築された古民家小池邸がある。
さて、鉄塔の下から正門に出る道は3ルートある。尾根道を通って古民家に出る道、湿生植物園を通る道、冒険広場を通る道、どのルートを通っても正門までは700メートルほどである。散策路はいずれも整備されていて、歩きやすい。これも、新林公園愛護会というボランティァの人たちが定期的に道の補修、草むしり、笹や蔦刈、間採などの整備に努めているからである。感謝して歩こう。
脚の負担を考えれば段差の比較的穏やかな古民家に下る道がよいようだ。特に桜の季節、山桜はすばらしい。今はせみ時雨の午後、時折、樹間を通り過ぎる涼風を感じながらゆっくりと下っていくことにしよう。
散策路の中ほどに獣落し跡がある。子供の頃、よくいたずらして掘った落とし穴の親玉である。、ここにある獣落しは、明治の頃に掘ったものらしいという案内板があった。明治の頃まで、まだこの山には猪や狸などの小動物が棲息していたのである。
調べてみると、かって、この新林から片瀬山住宅地に至る片瀬丘陵は杉や松が鬱蒼とし、駒立山馬立山、物見山とも呼ばれ、日本武尊が東征のとき物見したとか、新田義貞が鎌倉攻めのとき、ここに馬を勢ぞろいさせたという伝承が残っているという。
そして、藤沢市内において最も多く横穴古墳群があったことが確認されている地域である。古墳時代の横穴は、この山の裏側(東側斜面)の川名(神光寺横穴墓群)で見られるが、西側斜面は宅地開発で失われてしまったようだ。しかし、新林は開発の手が伸びなかったので、何処かにあるはずだ。
古民家左側、岩壁を掘りぬいた古い用水路
片瀬丘陵の横穴古墳群は何度も発掘調査されたというから、図書館で調べれば、その所在が判るのだが、古民家の辺りで犬を散歩させていた老人(小生も老人なのだが)に尋ねてみた。「古民家の周辺にそれらしきものがありますよ」と、案内してくれた。
古民家の裏手、山道に登る所に案内板(写真)があるが、その右手奥、草木に覆われていて判り難かったが、石を切り取った跡が見られた。また、民家右側の岩崖には、間口・奥行き一間ほどのやぐらがあった。普段、歩いている道で、気が付かなかっただけだった。
岩崖をよく見ると砂岩であった。なるほど、古代人でもこれは彫りやすいが、風化し苔が生していた。
古民家左側には岩崖を掘り抜いた古い用水路があり、反対側のパークアリーナ・マンションの方へと続いていた。昔、川名大池の水を引き灌漑用水として使ったものかと思われる。マンションへ通じる小道に脇に、「庚申塔」がひっそりと建っていた。石には明治435月吉日、増田氏と刻まれていた。川名地区の名主だったのでしょうか。
「穴場」というタイトルにつられて読まれた方には、ゴメンナサイ。(8・30 八柳)