寄り道・道草 29



1月19日(水)のゆっくりウォークは、杉山検校(けんぎょう)が建てた藤沢宿から江の島へ至る江の島道の道標(11余基のうち9基)を訪ねて江の島海岸まで歩くというものです。今回は、道順に沿って、江の島弁財天道標を写真で紹介しましょう。
道標はいずれも花崗岩製、高さ約1メートル、各面幅20センチの石柱、正面および両側面に「一切衆生 ゑのしま道 二世安楽」と銘が刻まれていますが、西行もどり松脇の1基だけは、四面に「西行もどり松」と刻まれています。

最初の道標は
白旗神社境内にあります。神社本殿に向かう石段の下には、さまざまな庚申供養塔がありますが一番手前にあります。
2本目は、
遊行通り3丁目ロータリー内にあり、3本目と4本目は、市役所構内(2基)にあります。写真で見るように3本建っていますが、そのうち2本だけが検校の道標です。いずれもどこからか移転されたものでしょうが、どこにあったものかの説明はありません。

5本目は鵠沼神明、法照寺境内にあり、すでに「寄り道・道草27」で紹介したので写真は省略します。
6本目は、旧江の島道の中ほど、
片瀬小学校の正門グラウンド脇にあります。7本目は密蔵寺の斜め前の辻に、ほどなく8本目は片瀬市民センター構内

そして、9本目は西行もどり松脇と続きます。(「寄り道・道草10」で紹介しましたので写真は省略)、10本目は州鼻通り、
なぎさ整備事務所前にありますが、この道標は、平成10年1月、ここより南170メートルの州鼻通りの地下から工事中発見されたものです。そして最後11本目は江の島神社境内福石脇にあります

ところで、検校(けんぎょう)とは、盲人の官職のことです。杉山和一、慶長15年(1610)、伊勢の津の生まれ、5歳のとき失明、17歳のとき江戸に出て鍼術を学び、努力して管を用いて鍼をさす管鍼術を創案しました。徳川綱吉の病を治した功績により、元禄5年(1692)、関東総検校となり、元禄7年に没しました。杉山和一の墓は参道、赤い鳥居横の駐在所の先、市民の家脇を海側に下った所にあります。点字の案内板もあるのは、いかにも検校のお墓らしい

                                                                        (12・20 八柳)