寄り道・道草 38

遊行寺の放生池
 遊行寺の寺務所の右手に放生池(ほうじょう)という小さな池があり、あまり多くの数ではないが鯉の姿も見られる。
 放生とは、捕えた生物を放ち逃がすという意味である。この遊行寺の放生池は古くからあったもので、案内板には「江戸幕府の記録である『徳川実紀』、元禄7年10月の日記によれば、金魚、銀魚等(注1)を放生せんと思わば、清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、かつ放生の際は、その員数をしるし目付へ届けるべし、と記録されている。古来よりこの池に金魚、鯉など放生すれば、その功徳のより家内の繁栄、長寿を保つとされる」とあった。
徳川五代将軍、犬公方ともいわれた徳川綱吉の時代(1680〜1709)、生類憐み令によって江戸中の金魚を集めて放されたとも伝えられる池である。

 そして、最近たてられたと思われる「藤沢メダカの由来」と題する案内板がある。その一部を紹介すると、「有名な童謡『メダカの学校』(注2)の発祥地である神奈川県のメダカは、1999年に環境省の絶滅危惧種U種に設定された。
しかし、このとき、野生のメダカは藤沢市内の自然環境の水辺や水田、境川、引地川、鵠沼の蓮池にも棲息していなかった。ところが、鵠沼の池田正博さんという方が庭池に40年間、蓮池から採取してきたメダカを育てていたことが判明、池田さんの好意でメダカを分けてもらうことができた。このメダカを藤沢メダカと呼び、現在、市内の小中学校で飼育されている。この池のメダカは「藤沢メダカを守る会」によって放生された。この池にたくさんのメダカが増え、川に返してやりたい、メダカの楽園になってほしい」とあった。

 鯉が泳いでいる池とメダカが放生された池とは遮断されていたが、日陰や水草が少なかったので、メダカの姿は見当たらなかった。
訪れた日は日曜日、子供連れの若い夫婦が、なんと、ザリガニ捕りをしていた。ここはお寺の境内、聖域である。この罰当たりめが。放生池の意味を教えたが、きょとんとしていた。
遊行寺では4月21〜24日の春季開山忌に放生会(ほうじょうえ)という儀式がある。

(注1)銀魚って、どんな魚か。調べてみると「淡水魚、ギバチの方言(東北・関東)、金魚の
    一種、うろこが銀色のもの」とあった。
(注2)作詞 茶木 滋(横須賀の出身)、作曲 中田 喜直、昭和24年NHKの放送番組で
    安西愛子が歌いヒットした。                              (八柳)