寄り道・道草 41


回るお堂、感応院


 藤沢橋の交差点から国道1号線を東京方面右側を少し歩き、コピー屋さんの角を曲がると突き当たりに感応院がある。正式には三島山瑞光院感応院(かんのういん)といい、真言宗のお寺である。
 お正月の藤沢七福神めぐりのひとつにも入っており、寿老人、長寿の神様でウォーカーのみなさんにはお馴染みである。
山門をくぐると、右手に鐘楼、その奥まった所に三島神社、正面本堂の前には弘法大師修行像がある。
 感応院は源頼朝が静岡の三島神社を勧請したのが始まりといわれる。本尊は不動明王、開山は道教、開基は源頼朝、創立は建保6年(1218)、藤沢宿では最も古いお寺である。慶長14年(1609)には、徳川幕府より檀林所(江戸時代の仏教学研修所)に指定され、慶安2年(1649)朱印地三石七斗を賜り、末寺が14もある大寺院であった。
 感応院で興味があることは、境内にある三島神社の社殿である。お堂の下部は写真を見てもわかるとおり、お堂が回転できる構造になっていることである。なぜ回転するように造ったのであろうか。
郷土史家の平野雅道さんに訊ねてみると、ご親切に次のようなお返事をいただきました。「回転できるお堂は、全国的には多く見られます。六角形、八角形の経堂。これはその名のとおり「経典」が奉納されています。一般信者には、そのまわりを一周すれば経文のご利益があるとされています。なかなか参拝できない人々用ですね。お堂が回転するのは、人を廻らせるのではなく、堂が回転することにより、同じくご利益があるとするものです」
 そしてもう一つ、感応院は「相模国準八十八ヶ所霊場めぐり」の一番札所になっていることである。四国八十八ヶ所霊場めぐりは、つとに有名であり、昔から信者にとっては、一度は是非巡礼してみたい行脚であった。
 しかし、総歩行距離は1,450km、およそ2か月(一日平均24km)もかかる。それに四国までの道程、費用を考えるとだれにでもできることではなかった。そのため江戸時代になると、小四国、準四国といわれる仮想四国霊場めぐりができた。富士山に登れない人が気軽に登山できる富士講も、同じようなものであった。
 さて、「相模国準八十八ヶ所霊場めぐり」は、だれが考えたのかは、今後の調査に待つとして、感応院を一番札所として、藤沢、鎌倉、寒川、茅ヶ崎に八十八ヶ所、そのうち藤沢には四十四ヶ所の札所がある。八十八ヶ所の霊場の中には今は廃寺になったものや個人のお宅にあるものもあるが、満願となる八十八ヶ所目のお寺は本鵠沼にある普門寺である。
 この八十八ヶ所のお寺を訪ねてみるウォークも面白いかもしれない。
相模国準四国八十八ヶ所札所一覧は、「藤沢史跡めぐり」(藤沢文庫刊行会編)巻末に掲載されている。                                   (8・25 八柳)
参考資料:「藤沢史跡めぐり」 藤沢文庫刊行会編     
     平野 雅道「東海道五十三次 藤沢宿史跡ガイドブック」