寄り道・道草 42



古い看板


 ウォーキングには色々な楽しみ方があるものである。古い看板を撮影して歩いている人に出会った。この人は古い看板を捜して歩くのが目的で、結果としてウォーキングし、これが好奇心と健康を維持する方法だと言っていた。

この寄り道・道草シリーズもネタ切れの感があるので、しばらく同行させてもらうことにした。

 戦前戦後の古い看板を集めているマニアがおり、保存状態がよければ結構よい値段で取引されるそうである。古い看板を捜すことは古い家やお店を捜すことであるが、すでにマニアによって珍品、保存状態のよいものは買い漁られ、加えてバブル期の地上げや家屋の新築・改築によって、もう絶滅種状態なそうである。散策の折に見つけた古い看板を紹介しよう。(番地の表示は所有者にご迷惑がかかるから割愛、イヤーラウンドウォーカーなら、あそこにあったと分かる看板ばかりです)

@        大鋸2丁目の戦前からの立派なお家に「シルバー編物教室」という保存状態のよい看板が掛かっていた。塩ビ製で中にランプを点灯するようになっている。シルバー編物製造(株)は昭和30年に創立され、42年にシルバー精工(株)に社名を変更、現在会社は編み機を製造販売しているが、編物教室を社業としてやっているのかは分からない。




A        片瀬3丁目の古いお店にあった「コカコーラ」の看板、琺瑯(ほうろう)製であるが、風雨にさらされご覧のとおりである。コカコーラは終戦の翌年、アメリカ文化の象徴として日本に上陸した。だが、多くの日本人が口にできるようになったのは、昭和31年に東京コカコーラボトリングが販売してからのことであった。初めて口にしたときは、薬のような味がすると感じたものだ。昭和42年、CMに若大将加山雄三が登場、「スカッとさわやかコカコーラ」は全国を席捲した。現在はほかの清涼飲料水に押されているようだ。その加山雄三はもう古希を迎えるのではないでしょうか。

 


B        藤沢○○番地、土蔵造りの家の辺りにあった「ビクターマーク」の看板です。電気店は閉店し現在は誰も住んでいないようです。塩ビ製で、His Masters Voice のマークがかろうじて読みとれます。フォックス・テリアが蓄音機で亡くなった主人のなつかしい声に聞き入っている姿のこのデザインは、実話にもとづいたもので昔から親しまれてきたグッドデザインです。

 まだまだ、街には知られざる古い懐かしい看板があると思います。見つけましたら、画像掲示板に投稿ください。あのマニアの方も喜ぶでしょうから。
                     (9・4 八柳)