旧江ノ島道沿いにある日蓮宗の霊場本山「龍口寺」は、まだ紹介していなかった。 鎌倉時代も末期になると、蒙古来襲や国中に内乱が続き、飢餓や疫病が蔓延し民衆は悲惨な状況にあった。このとき、現れたのが日蓮であった。日蓮はこの惨状を救わんとして、「立正安国論」を幕府に奏上し、法華経による国家の平和を願い、民衆救済の方法を提起した。しかし、幕府はこれを理解しえず、逆に政策を中傷するものとし、文永8年9月12日(1271)、鎌倉の松葉谷の草庵で日蓮を捕らえ、市中引回しのうえ、龍の口刑場に連行した。翌13日、日蓮を土牢から引き出し、日蓮の首をはねようとしたが刀に稲妻があたり、その刃が折れてしまった。これは日蓮を斬ってはいけないしるしであるとして、日蓮を許したとされる。一命をとりとめた日蓮は、佐渡へ流されることになって、馬に乗せられて龍の口を出発した。その姿を哀れんで老婆が道中で食べるようにとボタモチ(胡麻)を日蓮に差し上げたという。写真は日蓮が一夜を過ごしたと伝えられる土牢、中に日蓮上人のお像があるというが暗くて見えない) 日蓮は1282年、61歳で池上において入滅した後、直弟子日法上人が延元2年(1337)に一堂を建立、自作の日蓮聖人像と首の座の敷皮石を安置したのがこの寺の始りとされている。(以上、注1) 一方、明徳2年(1391)から応永24年(1417)の26年間に、龍口寺の前身の「龍口院」が創建されたとみられるとする記述もある。(注2) 龍の口法難は、日蓮上人四大法難中屈指の霊跡とされている。因みに四大法難とは、松葉谷の焼き討ち、伊豆の流罪(40歳)、小松原(千葉)の襲撃、そして龍の口法難である。龍口寺法難会は毎年9月12日に行われる。以前は日蓮上人を偲んで参拝者にはぼたもちが振舞われたそうである。 余談: 鎌倉大町一丁目に常栄寺、別名「ぼたもち寺」として知られる寺がある。龍口寺のHPとは大分内容が違った話がある。「ここの裏山は源頼朝が由比ガ浜を遠望する桟敷を設けた場所であった。のち兵衛左衛門尉の妻が住み桟敷尼と称していた。熱心な日蓮宗の信者で、日蓮が龍の口の処刑場へ引き立てられていくとき、ぼたもちを日蓮に献上したところ、奇蹟が起こり法難を避けられた」という。老婆=桟敷尼でないとすれば話は成立するが、ぼたもちを献上したから奇蹟が起きたという話しより、雷が刀に落ち折れたという話の方が納得しやすい。 (06・2・12) 参考資料 (注1)龍口寺ホームページを参考、(注2)「藤沢市文化財ハイキングコース」藤沢市教育委員会 (注3)「鎌倉散歩24」神奈川県高等学校研究会、社会科部会歴史分科会 山川出版) |