6月10日は「時の記念日」である。調べてみると1920年に制定されたものである。制定理由は、時間をきちんと守り、欧米並みの生活改善・合理化を図るためであった。それでも、高度経済成長時代になる前まで、地方にはなんとか時間というものがあって、会議や会合が予定通り始めらなかった。
なぜ、6月10日が時の記念日となったのか。それは、671年5月、中大兄皇子(のちの天智天皇)が水時計を初めて作ったと「日本書紀」にある史実に基づくものであった。そして、昭和56年12月、この事実を証明する証拠が、中大兄皇子がつくった水時計の施設の跡が奈良県明日香村で見つかった。
アイランドコース、必ず通る江ノ島弁天橋手前の左側に日時計がある。
「円弧型日時計」といい、日時計作家 小原輝子の作、長洲一二元神奈川県知事の揮毫になる「潮音」という文字が黒御影石に彫られている。平成元年4月、藤沢のライオンズクラブが結成15年を記念して建てたものである。
日時計の位置は、東経139度29分11秒、北緯35度18分09秒、立ち止まって見る人は少ない。 日時計にはこう刻まれている。「時は形がなく見えません。しかし、私達には確かに時が過ぎていくのが感じられます。人々は大昔、太陽の動きをつかまえて、とりとめもなく流れる時に区切りをつけました。それが日時計と時刻です」と。
あまり、ここの日時計について書くことがないので、「日時計」についての雑学を書くことにする。
日時計の歴史は古く、紀元前約2千年、バビロニアにおいて作られたと伝えられる。紀元前約1500年にはエジプトで水時計が、約700年にはイタリアで砂時計が発明され16世紀頃まで用いられた。同じころ中国では火縄時計が使われたという記録があるという。機械時計は1300年代、イタリア、ドイツ、フランスあたりで作られたといわれるが、発明者は不明、寺院の塔時計、王侯貴族の室内時計として用いられた。ゼンマイの発明は1500年、ドイツ人ピーター・ヘンライン、この発明によって時計の携帯が可能となった。自動巻時計は1763年、スイス人によって、電気時計は1840年、電池腕時計の製造は1957年、アメリカのハミルトン社によって初めて量産された。音叉腕時計は1960年、アメリカのブロバ社が開発し量産した。
最後によく知られたエスニックジョークを紹介してこの拙文を終える。
「スイス人は時(時計)をつくる。イタリア人は時を無駄にする。日本人は時に追われる。インド人には時がない。(インド人は時に関係なく永遠に生きている)」 さて、皆さんは時間をどのように使っていますか。
(06・6・10 八柳)
参考資料:古時計再工房(時計の歴史)澤田時計HP
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