寄り道・道草 51
遊行の盆

 今回は寄り道・道草といっても、一年に一回だけの道草である。7月22日、遊行寺境内で第1回の「遊行の盆」が開催された。

 時宗総本山遊行寺の開祖一遍上人が、念仏を唱えながら踊って布教したという「踊り念仏」が、盆踊りのルーツではないかということに着目して、全国の著名な盆踊りを招き、また「踊り念仏」をモチーフにして新しい藤沢の踊りを創作し、藤沢の町の活性化を図ろうというものである。今回は富山の越中おわらの風の盆、秋田の西馬音内の盆踊りを招聘するということで、境内は2,200人(主催者側発表)で賑わった。
 
 永六輔の話、シンポジウム、パンフレットから、盆踊りのルーツを紹介したい。一遍上人は、南は鹿児島から北は岩手まで、その半生を念仏、「南無阿弥陀仏」を説いて歩いた。永によれば「ナム」とはサンクリット語で「あなたを信じます」「あなたが好きです」「あなたについて行きます」という意味、「アミダブツ」は「仏」である。難解なお経を唱えても意味が分からない民衆にとっては単純明解であったに違いない。
 踊り念仏の起源はいつごろであったか 弘安2(1279)、一遍上人が京都から信州佐久にやって来た。そこで多くの信者と念仏を唱えているうちに、突然、一遍が手を振り、足を跳ね上げて踊り出し、信者がこれに従ったのが始りとされている。その様子は「一遍上人聖絵」にも描かれているという。

「踊り念仏」は、集団でとんだり跳ねたりするという特徴があり、参加者に恍惚感と自己開放をもたらす。このような「踊り」と「念仏」を合一化し、心身の飛躍を通じて法悦を得るというのが、一遍の踊り念仏の考え方であるという。(パンフレット4頁)

 聖絵には、その後ぱったりと踊り念仏が描かれていない。再び登場するのは3年後、片瀬の地蔵堂である。ここでの念仏踊りは以前とは全く様子が違っていた。高床に屋根付きの舞台が組まれ、踊っているのは僧尼たちだけで、民衆は見ているだけである。(このことについては、寄り道・道草19 一遍上人地蔵堂跡に書いたので省略)

 ところで、ルーツの遊行寺の念仏踊りは関東大震災まで続けられたが、その後、途絶えてしまった。昭和50年、信州跡部(あとべ)に伝えられる念仏踊りが、遊行寺の念仏踊りと同じものであったことが確認され、遊行寺念仏踊り保存会の人たちによって継承されている。写真はその遊行寺の念仏踊りである。

今後、この念仏踊りをベースとした新しい藤沢の盆踊りが全国的に有名な踊りとして発展していくか感心のあるところである。               (723 八柳)