寄り道・道草 54 |
ニエアルは中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者である。なぜ、ニエアルの記念広場がここにあるかといえば、1935年、鵠沼海岸で遊泳中に水死したことがあったからである。 中国国歌のリズムは、いまでは広く知られ、北京オリンピックでは嫌というほど聞かされることになろう。 調べてみるとこの「義勇軍行進曲」は中国映画「風雲児女」の主題歌であった。1935年に詩人の田漢が作詞し、ニエアルが作曲したものである。この映画は中国の東北地方(満州)で抗日運動の立ち上がった人々を描いたフィクションである。 ニエアルが亡くなっている1935年は、すでに日中戦争は始っていた。国民党の追及を逃れて日本経由でフランスに亡命する途中の事故であったという。 暗殺説もあるが、事故説が有力である。 ニエアルは雲南省昆明の生まれであったから、水泳は得意ではなく、ましてや引地川河口からの水の流れと沿岸流とが複雑に絡みう流れの変化を知らなかったのかもしれない。ニエアルの終焉の地であったことから、1981年、藤沢市と昆明とは友好都市となった。郭沫若揮毫による終焉の地の碑もある。 歌詞(訳:出典wikipedia)は次の通り。甚だ勇ましい歌詞である。 いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ! 我等の血と肉をもって 我等の新しき長城を築かん 中国民族に迫り来る最大の危機 皆で危急の雄叫びをなさん なさん 起て! 起て! 起て! 万人の心を一つにし 敵の砲火に立ち向かうのだ! 敵の砲火に立ち向かうのだ! 進め! 進め! 進め! この「義勇軍行進曲」は1949年、中華人民共和国成立時に暫定国歌として制定された。そして正式な国歌となったのは1978年であった。但し、このときの歌詞は、毛沢東や中国共産党を讃える内容に変更され、また文化大革命中、作詞者の田漢が批判・迫害をされたこともあって歌詞は歌われなくなり曲の演奏も少なかったという。1979年に田漢が名誉回復し、1982年に元の歌詞に復元されたという。 およそ、世界の国歌の歌詞は中国やフランスのラ・マルセイエーズのような革命・戦闘的なものと、イギリスGod save the Queenや君が代のような君主を讃えるものとに二分されるようだ。 参考:藤沢市HP、wikipedia (2・23 八柳) |