寄り道・道草 55

蓮 池

 シーサイドコース、必ず通るポイント、藤が谷4丁目に蓮池と呼ばれる小さな池がある。案内板にはこう書かれている。「この公園(桜小路公園)付近一帯は、昔、鵠沼の地名の由来と言われる「沼」が七つもあったそうです。しかし時代と共に埋められ、残された池は三つの「ハス池」だけになりました。このような貴重な場所を残そうと住民が運動を起こして長い間の努力が実って、現在の公園になりました。住宅地の中にあって、釣りができ自然が楽しめる公園は数少ないと思います」鵠沼 蓮池
 
 池は三つあるとのことであったが、鵠沼高校の前に葦で覆われ、やっと池と確認できた池と、この桜小路公園の池と二つだけであった。この案内板が立てられた後、池が一つ埋め立てられたのであろう。

 後日、この蓮池の生成について、鵠沼公民館の常設展示室で知ることができた。境川の流路の変化と大きく関係しているのであった。境川、下流は昔片瀬川といっていたが、古い地図をみると、境川は現在の市民会館辺りから、川の流れが西に約1キロほど曲がって流れていた。

 川の流れが曲がっていると、洪水時、水は真っ直ぐに流れる力が働くので、曲がり角付近は氾濫しやすい。そこで明治10年代に片瀬山から土を運んで、川の流れを直線、ショートカットにする工事を行った。工事の結果、湿地・池(三日月湖)が残った。湿地帯は順次、田畑、住宅地となったが、最後まで七つの池が残った。

 資料によると、江ノ電の停留所に、現在の石上と柳小路の間に川袋という停留所があった。川の近くに「袋」という地名があれば、曲流の跡と考えられている。池袋という地名も、かつては川の曲流が袋状になった湿地帯につけられた地名の名残と言われている。

 池の中に入り、網で魚をすくっている人がいた。「なんの魚を獲っているのですか」と訊ねた。「メダカかですよ」と意外の答えだった。「こんな濁った水にメダカは棲息しているのですか。メダカは希少生物と聞きましたが、獲ってどこかの池に放流して増やすのですか」とさらに訊ねた。さらに意外の答えが帰ってきた。「この池にはメダカはたくさんいますよ。獲って水槽で観賞するんですよ」 そうかなぁ? それでいいのかなぁ?・・・となんとなく納得できず帰宅した。

でもちょっといいこともあった。数年前、岡崎神奈川県前知事の奥さんと娘さんが、この公園の大木の下で雨宿りをしていて落雷に遭いお亡くなりになったという不幸な事故があった。その木の下に誰が手向けたのか、花束が置いてあった。 蓮池にもハスが一輪咲いた。                             (9・16 八柳)