寄り道・道草57
ビーチバレー発祥の地  
鵠沼海岸のサーフビレッジ海側に「日本ビーチバレー発祥の地」という碑がある。
2006年8月、ビーチバレー・ジャパン第20回大会を記念して立てられたものである。
5個の石が並び、中央の尖った三角形の石に1987年(昭和62)第1回ビーチバレージャパンが、ここで開催されたことをもって、日本のビーチバレー発祥の地としたことが刻まれている。


最初、三角形の石のみが記念碑で、後の石はオブジェかと思ったが、それぞれの石の形に意味があることが分かった。写真の左側から横になった その後ろ 中央三角形 横になった その後ろ仰向けになった  全体でBEACH 

ビーチバレーはバレーボールから派生したもので砂浜にネットを張って2人一組で行うスポーツである。もともとはカルフォルニアのサンタモニカのリゾートビーチでレジャーとして行われていたものであった。
これが1950年代になり美人コンテストやTV番組とタイアップしたショーとして、ビーチバレーがメディアの注目を集めるようになったという。
1987年に国際バレーボール連盟公認の初の国際大会がリオのイパネマビーチで行われ、その歴史は比較的新しい。
わが国では、川合俊一(元富士フイルム)が先駆となり、1987年、鵠沼海岸で第1回ビーチバレージャパンが開催されたことがきっかけとなり認知されるようになった。多分にメディアとタイアップした効果が大きかったようだ。

1996年、アトランタ五輪から正式種目となり、日本代表選手から転向した高橋有紀子・藤田幸子組が5位に、シドニー五輪で高橋有紀子・佐伯美香組が4位に入賞したが、その後は奮わない。2004年、浅尾美和がモデルなどの活動を通じて、一時、人気を取り戻したかに見えたが、個人的人気によるもので、本人のランクが下がるとともに低迷している。
その原因として、戦力低下を恐れる室内側の反対があると言われるが、それだけだろうか。私はビーチバレーコート(砂浜)という場所の制約から来るバレーボール人口の少なさ、特に浅尾美和以降観るスポーツに変わってしまったのではないかと思う。
鵠沼コートは15面ある。ビーチバレーに興じている市民はどのくらいいるだろうか。藤沢には藤沢翔稜高校のように全国レベルの高校がある。市民スポーツとして発展することを期待したい。(参考:ビーチバレーボール協会HP、Wikipediaなど) 八柳