寄り道・道草58
ビーチバレー発祥の地  
 イヤーラウンド大庭城址コース、藤沢厚木線(43号)と藤沢平塚線(47号)との交差点に舟に乗った地蔵「舟地蔵」がある。いつ通ってもお花が手向けられている。
案内板にはこう書かれている。
「地蔵尊の台座が舟形となっていることから舟地蔵と呼ばれています。その昔、北条早雲が大庭城を攻めたとき付近一帯は沼地で、なかなか攻め入ることができませんでした。北条方は沼の近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上がることを聞き出しましたが、秘密漏れを防ぐため切り殺してしまいました。その結果、北条方は、ようやく城を攻め落とすことができたそうです。舟地蔵は殺された老婆を供養するため建てられたという言い伝えがあります。 表郷町内会」

舟に乗ったお地蔵さんは、この他、臺谷戸稲荷の森、近くの路傍にもある。
藤沢のウォーキングでもよく通る道ですが、小さな舟地蔵ですからから、注意して歩かないと見過ごしてしまいます。
 
 
舟に乗ったお地蔵さんは珍しい。なぜ、舟に乗っているのでしょうか。桜井いくぞうさんのHPによると「地蔵が舟に乗っているのは、沼地を渡る舟からきているといわれている」と書かれています。多分、地元の方から聞かれた話かと思います。沼地を渡る舟からだけの説明ではよく分かりません。また、臺谷戸の路傍のお地蔵さんはなんのために建てられたものでしょうか。沼を渡るためではないでしょう。なぜ、同じように舟に乗っているのでしょうか。

さて、グーグルとは便利なもので、検索してみると舟地蔵は全国的にあるようです。近くには相模原、平塚にもありました。いずれも水難事故で亡くなった人を供養するため建てられたもののようです。
また、舟に乗ったお地蔵さんを「岩船地蔵」と呼んでいるとの記述も見出されました。
岩船地蔵尊といえば、鎌倉に亀ヶ谷坂にもありますが、ここの地蔵尊は源頼朝の娘、大姫の供養堂で、写真をみると地蔵尊の光背(仏像から発せられる後光)が舟の形になっているもので、舟形の台座に乗ったものではありませんでした。
石屋さんのカタログを見ると、お地蔵さんの背後が舟形のものが水子供養用として紹介されている。やはり水に関連していると思われる。
私の故郷の盛岡には、送り盆に「舟っこながし」という行事があります。一種の精霊舟で、初盆を迎える故人の戒名や遺影、提灯、紙花で飾った舟を、読経後、火をつけて北上川に流すという古くからの行事がある。
以上のことなどから、私は舟に乗ったお地蔵さんは、無残にも殺された老婆が、舟に
乗って、無事に三途の川を渡って極楽浄土へ行って欲しいという村人の願いではなかったかと思います。また、同じように臺谷戸の小さな舟地蔵も、命を落とした子供などが浄土へ行けるようにとの親の願いではなかったかと思うのである。(八柳 修之)