寄り道・道草65
乃木大将銅像台座石
乃木大将銅像台座石
台座石だけが残されている名所?とは、寄り道に採り上げる意味があるかということもあるが、ネタも尽きて来たので紹介します。
江ノ島観光案内所横の駐車場脇の一角に乃木大将銅像台跡がある。
案内板に「ここはかつて日露戦争時に陸軍司令官として知られる乃木大将の銅像が建っていましたが、太平洋戦争の終戦直後に行方不明となり、台座だけが残されました。この石は、その台座石として使われたものです」とある。

日露戦争で武勲を挙げた乃木希典大将、戦後は評価が分かれる。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、203高地攻略戦の最後を児玉源太郎に委ねたなど評価は低い。
それはともかく、戦後退役すると乃木は裕仁親王(昭和天皇)の教育係として学習院の院長となった。学習院の遊泳場が片瀬に設けられ、乃木は片瀬の有力者山本家を宿舎とした。山本家の次男信次郎は暁星でカトリックに入信し、自宅にカトリックの聖堂を設けた。(寄り道1.不思議な教会、2.山本公園参照)
小田急江ノ島線が開通すると、山本家は所有の土地をフランスのシャルトル聖パウロ修道会に提供した。昭和11年に片瀬乃木幼稚園、12年に片瀬乃木幼稚園、13年に乃木高等女学校が創設された。校名を「乃木」としたのは、山本家ゆかりの乃木希典にちなむものであった。余談だが、美智子皇后は小学校4年〜5年の頃、鵠沼松が岡に疎開され、数か月、乃木小学校に通われたそうである。
さて件の乃木将軍の銅像であるが、昭和12年、石組みの台座の上に高さ3.6メートルの銅像が建てられた。海軍は旅順から203高地の石を運び、銅像近くに設置した。除幕式の9月13日は、乃木が明治天皇に殉じた日であったという。
銅像は、昭和21年3月まであったというが、姿を消しその行方は分かっていない。203高地の石は児玉源太郎を祀る江ノ島児玉神社境内に移されたという。
現在、僅かに203高地の石の一部が残っている。17,000人の犠牲者の血と涙の石である。一度は立ち寄ってください。(2012・10・4)

    参考資料:「藤沢市史」「湘南白百合学園小学校HP」