寄り道・道草66
旅館東屋の離れ「ちん亭」
小田急鵠沼海岸駅で下車し鵠沼商店街を海側に向かって歩くと、左側に旅館東屋跡への行き先標識がある。角を右に曲がると、「東屋の跡の碑」と教育委員会が2001年3月に立てた案内板がある。これによると、「明治後期から昭和初期にかけて多くの文人が来遊した旅館東屋は、鵠沼のこの地にあった。記念碑の右側を正門として、海岸まで拡がる約2万平方米の広々とした敷地に松林と池を配し、本館および離れが点在していた。尾崎紅葉の硯友社の文人をはじめ、・・・志賀直哉、武者小路実篤らによる白樺派の揺籃の地・・・芥川龍之介の短編小説「蜃気楼」は、当時の鵠沼海岸の風景を幻想的に描いている。

東屋は明治5年頃、伊東将行、長谷川ゑいによって創業された。関東大震災にあうも再建され、戦時色の強まる昭和14年に半世紀にわたる歴史を閉じた」。
案内板には東屋に逗留した文士の名前が記載されているが、もはや文学史の世界である。現在は住宅が立ち並び、往時を偲ぶ縁はないが、かつて東屋の離れであった茅葺屋根の家が残されている。離れであったことの表示は何もないが、案内板の配置図によると、離れの「ちん亭」のようだ。無人で開放されていないが、外観はよく保存され、藤沢に残る数少ない茅葺屋根の家である。

道を直進すると湘南海岸公園に出る。芥川の「蜃気楼」は全文ネットで見られた。鵠沼に蜃気楼が出たと聞いて友人と女房で見に行ったが見られなかった。海辺で友人が木札を拾ったら、水葬した亡骸につけられていた十字架らしく、三人で亡くなった人に思いをめぐらした。と言う内容で特に感慨はなかった。この蜃気楼を書いた三か月後、芥川は自殺するが、この小説に芥川の自殺に至る心理状態を求める評論家もいる。それより蜃気楼はどうして見られるのか関心があった。空気には温度の違いで、膨らんだり、縮んだりする性質があり、水面近くと上空で温度差が激しいと光が屈折して物が歪んで見えるのだという。鵠沼で蜃気楼を見た話は聞いたことがないが、やはり最近言われている気候の亜熱帯化によるものであろうか。