寄り道・道草66
下諏訪神社
下諏訪神社
江ノ島街道(国道467号線)を江ノ島に向かってバス通りを歩くと、バス停諏訪神社がある。一の鳥居をくぐると、右手にご由緒が書かれた案内がある。諏訪神社は長野県諏訪大社を本社とし、全国に数千の分霊が勧請されている。祭神は上社が健御名方命(たてみなかたのみこと、大国主命の第二子)、下社は八坂刀売命(やさかとめのみこと、妃神)である。どこにでもある諏訪神社は、通常この二神を祭神としている。上社と下社があるのは諏訪の本社以外には珍しいという。諏訪神社は、古くは狩猟の神として崇められてきたが、のち農耕神、武神として信仰されている。

創立は養老7年(723)、上社は天長3年(826)、諏訪ヶ谷の地より小字浪合(現片瀬山3丁目)に、下社は弘仁3年(612)に宮畑より小字鯨骨(現片瀬3丁目)に移された。そして下社の社殿は昭和14年に改築されている。二の鳥居の右側に御影石の大鳥居額が置いてあり、説明によると、この額は昭和15年建立の一の鳥居の額であったが、重さ1トン余りで永く掲げられて来たが安全のため新設の台座に奉安したとある。そういえば一の鳥居に額がなかった。

実は下諏訪神社を訪れたのは、もう一つ目的があった。下社のある辺りはかつて小字名を鯨骨と呼ばれていた。神社の前に神池(諏訪池とも)があり、昔、大津波に乗って川を遡った鯨がこの池に打ち上げられという伝承があり、この鯨の骨を埋めたという鯨塚があった、ということを知ったからであった。神主さんの奥さんに「鯨塚」が、どこにあるのか訪ねたが、分からず、長老の氏子さんを紹介いただいた。長老によると「鯨塚のそのものもあったと伝えられるだけです。神池は埋め立てられ今はガソリンスタンド、病院、住宅地となってしまいました。諏訪神社が全国的に多いのは、鎌倉時代に源頼朝を始め北条氏等武家の信仰が極めて篤かったから、諸国に勧請され守護神、氏神様として拡がったのです」と。

大鳥居額の横の道を進めば、上諏訪神社に出る。波がこの辺りで合わさったという浪合の小字名は片瀬浪合市民の家のプレートに残るだけだった。諏訪神社の例大祭日は8月27日、467線を交通止めにして御神輿が出る。