寄り道・道草68 | |
日本大学農獣医学部発祥の碑 | |
藤沢にある発祥の地はビーチバレーだけと思ったが、調べて見るともう一つあった。日本大学生物資源科学部のキャンパス、10号館の西側に「日本大学農獣医学部発祥の碑」と「生物資源科学部改組記念碑」の二つがある。「日本大学農獣医学部発祥の碑」の碑文には「我らが青春の譜はこの相模野のむらさきが丘に奏でられ 若き理想の夢はこの地にもえたぎたり・・・」昭和59年7月、日本大学農獣医学部校友会が建てたものである。 略史によると、昭和12年3月 法文学部に専門部拓殖科が創設されたのが始まりで、18年5月、その実習地として亀井野の郷に農学部、25年3月には短期大学農業科が設置された。26年11月には日大と明治40年に創設された東京獣医畜産大学と合併し、27年3月に日本大学農獣医学部と名称を変更した。そして平成8年4月、時代の要請に応えて、平成8年4月に改組転換し日本大学生物資源科学部となった。 日大がある亀井野は、かつて六会村の中心で亀井神社のそばに役場があった。六会は関東ローム層の風化した黒土に覆われた台地の畑作地帯で、日大辺りは小字三屋向という畑地であった。 碑文にあるむらさきが丘。ムラサキは古代より染料、生薬として六会にも多数自生していたが、今は絶滅危惧種となっている。ともあれ日大は亀井野に56ha(東京ドーム12個分)の用地を取得したのであった。当時、日大の会頭を務めた古田重二良は、その手腕と先見の明があったといえる。 小田急六会駅が出来たのは昭和4年、現在一日平均28千人(2011年)の乗降客があるが、そのうち約8千人が日大関係者である。現在の駅名は日大の要請により、一時、「湘南日大前」という駅名が提案されたが、歴史的に意味のある地名を残してほしいという地元の要望から、平成10年「六会日大前」と改称されたものである。六会は明治22年町村制施行の際、六つの村(円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村、石川村が合併した(結び合った)ことに由来し、駅名以外には六会の名はない。 (参考:藤沢市発行「藤沢の地名」日本大学生物資源科学部HP 小田急HP) |
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