連載
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― 歩けば・・・見えてくる ―
黒江 輝雄
 歩き方を始めていろいろと今まで思いつかなかったようなことに出くわすことがたびたびあります。毎回新しい発見があります。
あれ!こんなところに鎮守さまが昔あったんだとか、普段何気なく通り過ぎている繁華街の一路入った裏通りを歩けば、表の情景とは全然ちがった裏の姿を垣間見て驚くこともあります。
ちょうど日頃みなれた化粧上手な美人のスッピン素顔をたまたま見かけて、あまりの違いに内心びっくりするようなものです。(失言をお許し下さい)

 先日、御殿場線の谷峨駅からスタートして丹沢湖を回わるコースの歩き方に久し振りに夫婦で一緒に参加しました。
駅前からみる風景はいつも見慣れている町並みとは全然ちがって、昔からの自然そのままが残っているところに、長い都夫良野トンネルをやっと抜け出した東名高速道路が目に飛び込んでくるすばらしい眺めでした。
酒匂川にかかっている、一度に20人以上は危険で通れない吊り橋をそろそろと渡り終えて間もなく、先ほど目にした東名道路の真下を歩きました。

道路は山間の酒匂川をまたいで地上から百メートル以上も上にあります。
まるで吊り橋がかかっているような感じでした。
見上げて思わず感嘆するほど高い所にあります。道路を支えている支柱は直径が数メートルもある鋼鉄製の巨大な柱です。道路の底が丸見えでした。
このようなすばらしい道路を造れる建設工事技術の優秀さに感銘すると同時に、道を歩いている女の子のス○○○の下を合法的に見ることができたような不埒な考えが頭をかすめました。(重ね重ね失礼しました)

 里山を歩いていて点在する屋敷の名前が何れも同じ表札をかかげている所が以外に多いことに気がつきます。一つの集落や村落がほとんど同じ苗字だけといった感じです。
昔からこの地域は○○家一族が何代にもわたって住んでいたのだろうなあと想像できます。
都会では一軒一軒別々の表札の家並みが続いていますから町中では見られない風景です。地元の人達同士の会話は苗字ではなく、名前で呼び合わないと話が通じ合わないことでしょう。
郵便屋さんも都会での配達では、地番と苗字が決め手ですが、里山ではきっと苗字よりも名前がかぎになっているはずです。
 どの町にもきまって、○○本町とか、○○中町あるいは仲町という地名があります。
こういった所はごく最近までは街の中心地だったことを意味しているようです。ですから今でも江戸時代から何代も続く老舗の蕎麦屋だとか呉服店などが時代の面影を残しながら商いをしています。
そのような町並みを歩くと何となく郷愁を覚えます。
時の流れは速いもので「明治は遠くなりにけり」なんてものではなくて今では「昭和は遠くなりにけり」という時代です。
 歩けば今まで見えなかったものが、見えてくるような気がします。
自然観察や社会科や歴史を実地に勉強しているつもりです。
これからもそのような心がけで歩こうと思っています。 以上