連載

(11)

 ― 雑感「ウオーキングとは」 ―

 
黒江 輝雄
 歩き方に参加しながら、ふと「ウオーキングとは一体何なんだろう」と自問自答していることがあります。
本来「歩く」ということは、病気や障害があって歩けない人を除けば、老若男女を問わず日常生活では欠かせない動作の一部となっていて例外はありません。
 買い物をするためにデパートやスーパーマーケット・商店街を歩き回わったりする、いわゆる「銀ブラ」などは「歩き」には違いありませんがウオーキングとは云いません。
また、クラブを持ってグリーンを巡るスポーツである“ゴルフ”は、ボールを打つよりも、はるかに長い時間をかけて歩きまわっています。だから 「ゴルフとは、ウオーキングをしながらショットを楽しむスポーツである」と定義してもそんなに的外れではないでしょう。
もっとも、直線コースを選ぶかジグザグ・コースをとるかはご本人次第ですし、リュックサックを背負ってプレーをする人はまずいませんが・・・
 不謹慎な表現かも知れませんが、修験者よろしく白装束で四国八十八番札所めぐりをするお遍路さん達は、いってみれば、信仰と修行を積みながらの元祖ウオ−カーと云えるでしょう。

「歩くこと」そのものが「ウオーキング」のもともとの意味です。
ところが、今では「ウオーキング」とは、普通名詞から特別の意味合いをもつ固有名詞になっています。
 会員向けの新聞や会報誌などには、ウオーキングの効用やウオ−カーの心得とか、ウオーキングマナー5か条がいろいろと説かれています。
健康増進や体力向上のために役立つ方法には、ウオーキング以外にもいろいろありますし、ウオーキングそのものは、一人でもできることです。
でも、皆が集まって決められたコースを歩くことは、一人では味わえない楽しみがあります。同じ趣味や趣向を持ち合わせた人々の集まりである―同好会―の一種かもしれません。

 「ウオーキングはたかが中高年者の遠足ではないか。」との陰口も聞こえてきそうですが、それでもウオーキング熱が年々たかまってきているのには、それなりの理由がありそうです。
 
 世の中には、歩こうにも事情があって歩けない方々が大勢おられます。
だから例会に参加して皆さん方と一緒に、今日一日楽しく健康的で“後慮の憂いなく”ウオーキングができることは、本当に有難いことだと感謝しています。
「ウオーキング」とは、感謝の心と気持ちを含んだ言葉ではなかろうかと思っています。
                                    以 上