連載
(12)
― 観歩しながら完歩しよう ―
黒江 輝雄
私が子供時代に育った北関東の地方都市で、舗装されていたのはバスや車が走る表通りだけで、一歩中に入れば殆どが砂利道だったように記憶しています。
通りには荷馬車がパカパカと音を立てながら我が物顔に往き来していました。
馬が時々立ち止まっては用をすましたりしていたものです。まだ湯気の立ちのぼっている落し物が、道の真ん中に点々と残っていました。
小学校に通う途中には、馬蹄屋さんがあって時々は馬の蹄(ヒヅメ)を手直ししていたのを記憶しています。
・ ・・あれから早いもので、半世紀以上がたちました。
もうそんな光景はついぞ見かけることはできません。
今では、逆に舗装されていない道路はほとんどなくなりました。
歩き方が終わってみたら、今日一日のコースは全部舗装された道の上を歩いたんだということが何回もあります。
子供の頃の道には、むき出しの側溝があって夏になるとボウフラが目立っていました。今は蓋のない側溝はめったに見かけません。
そういえば、車がやたらと多くなったせいで、信号機がいたるところに取り付けられています。自然の道という感覚とはほど遠い感じになってきました。
これも“時代の流れ”でしょう。
道は車の通る車道が主役になり、人間様が通る場所は歩道として片隅に追いやられてしまいました。
全国いたる所で、都市計画や区画整理が進んでいます。道路網が縦横無尽に走っているので、道路マップは毎年買い替えないと追いつかないくらいです。それに“平成の市町村大合併”が急速に進行中で、聞きなれない新しい「市」がどんどん誕生しています。名前も合成語や味もそっけもないものが多いようです。○○郡○○村大字○○といった地名は、間もなく日本の地名から消えてなくなる運命にあります。
落ち着いたら改正後の全国地図が必要となるでしょう。
昔からその土地に根付いて、住民の生活と文化の発展や継承に貢献してきた神社やお寺などの役割は、今でいう公民館のようなものだったのではないでしょうか。いやいやもっと生活に密着していたはずです。
だから春夏秋冬のお祭り行事や寄り合いはきまって、このような場所が選ばれました。
神社・仏閣そのものが、言ってみれば歴史的文化財です。これらの文化財が今では危機的な状態におかれています。
名前がよく知られている神社とかお寺を、どんな所か楽しみにしながらたずねてみて、期待はずれに終わることがたびたびあります。
お寺が周りを近代的なマンションやアパートに取り囲まれて、お寺の屋根の後ろには洗濯物が干してあるベランダがせまって見えるなどの光景はめずらしくはありません。もともとはお寺が先だったのに・・・
歩き方は、ゴールインしてお墨付きをもらうことも勿論大事なことですが、先人達の残した文化財などを鑑賞し、歴史に思いを馳せながら歩くのも大切なことだろうと考えています。
「観歩しながら完歩しよう」を座右の銘にして、毎回の例会に参加しています。
以 上