連載
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― この道はいつか来た道 ―
黒江 輝雄
 私はFWAに入会してまだ日が浅く、例会に参加した回数も少ないので口幅ったいことを申上げる立場ではありませんが、それでも「あれ、この道は確かに、前に通った道だった」と思い出すことがときにはあります。何度も場数(歩数?)を踏んだベテランの方になれば、コースの順路を聞いただけで今日はどんな道を歩くのか、大体の様子が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。

 コースを決めるための役員さんや関係者のご苦労は大変なものだろうと推察します。何度も実地下調べをするために歩いたり、当日の目玉になる史跡や神社仏閣などの由来を紹介するために、文献を見たりして決定するのでしょう。
また大事なことの一つは、時間との兼ね合いでトイレ休憩の場所を何処にするかだと思います。表には出てこない面白い、舞台裏の話もたくさんあることでしょう。
いつかは是非それらのことも聞かせてほしいと思っています。
なにせ私達一般の参加者は、例会当日集まって説明を聞き、マップを見ながら役員さん達の先導と指導に従って、注意事項を守り、交通事故にだけは気をつけながら歩いているのですから・・・

 例会に参加して、里山風景の所を歩いていると小学生時代の遠足気分になってきます。そして、そのころに習ったなつかしい「この道」とか「からたちの花」の歌を思い出します。
 北原白秋作詞、山田耕作作曲のこれらの曲は大正年代に作られて今日まで歌い継がれてきています。
でも歌詞にあるような、白い時計台や馬車などは、もう見かけることはなくなりました。時の流れを感じます。
 私の通っていた小学校の周りは、からたちの垣根で囲まれていました。歌詞にあるように、春には白い花が咲いていたし、秋には黄色い実がなっていました。針のとげがとても痛かったことを思い出します。

久し振りに我が母校を訪ねる機会がありましたが、期待していたからたちの垣根はなくなって、かわりに背の高い鉄格子製の柵に変わっていました。木造2階建だった校舎も鉄筋4階建になっていて、昔の面影はありませんでした。唯一残っていたのは校庭のいちょうの樹だけでした。
なつかしいという思いの反面、さびしい気持ちもありました。
 そう云えば、近頃は普段歩いていても、からたちの垣根がある屋敷を見かけた記憶がありません。多分あのとげが災いして、はやらなくなったのでしょうか。一度その理由を、専門家にたずねてみようかと考えています。
我が家にはとげのある木はありませんが、時にはとげのある言葉を口にする住人と長年一緒に暮らしています。
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 例会には、「この道はいつか来た道」を思い出させるような、昔ながらの自然が残るなつかしい道に再会できることを期待しながら、参加しています。
以 上