連載
「田村通り大山道」を歩く(1)
池 内 淑 皓
   八坂神社から300m程で旧田村十字路に出る。この辺りは西へ大山参詣者、北へは厚木、八王子方面へ、南は平塚東海道方面へ人馬継ぎ立てとして、また田村の宿として大いに賑わった。
新編相模國風土記稿によると、“永禄四年三月(1561)上杉輝虎小田原に発向、その軍勢当所に陣取る。永禄十二年八月(1569)武田信玄小田原発向の時も陣所となる。帰陣の時勝頼ここに陣す。天正十八年(1590)太閤秀吉奥州帰陣の時当所を過る。上州の境碓氷峠より武州川越
田村十字路の大山道標
、相州田村を過ぎ、藤沢、小田原、箱根を経て駿州沼津に到る”中世の名だたる武将達が田村を通っている。
この田村の辻に道標が残っている。「右大山道 左加満□みち 江のしま ふじさわ」と読める。

また昔この一角に十王堂があった。天文六年(1537)小田原北条氏が河越の上杉攻略の折り、ここで合戦があり、死者を弔った場所であると言う。今は石碑だけが残っている。
 大山道は右折し、100m先を左折する。神田小学校前を通り国道129号線の田村交差点を過ぎる。道は田圃の中の道を歩くようになる。目の前には大山が聳え立つように近くなってきた。
 
沼目の大山道

 渋田川を越えると伊勢原に入り沼目の部落になる。小田原厚木高速自動車道路を横切り、ややきつい坂を上り詰めると右手に八坂神社の石鳥居が見えてくる。200mもある参道はいかにも由緒ありげな風情である。参道の角には「左たむら道 右おおいそ道」と彫り付けられた宝暦十一年(1716)の庚申塔がひっそりと置かれている。
 境内には、室町時代の応永十年(1403)相模國鋳物師和泉権守恒光鋳造となる「銅鐘」が置かれている(県重要文化財)。
沼目八坂神社の銅鐘
 


 室町時代になると、ここ相模の国でもこのような素晴らしい銅鐘を作り出す技術と能力が備わって来たと言う理由で、県重文に指定されたとの言われが説明板に記述されている。
また境内の隅には昭和四十九年に枯れてしまった樹齢600年、目通り6m、樹高20mの天王松の切り株が県天然記念物として展示されている。