連載


― 生涯現役、生涯本番、伊能忠敬の生き方 ― 
黒江 輝雄
 
 国土地理院と我々ウオ−カーの大先輩である、今の千葉県上総国(カズサ)出身の伊能忠敬が日本地図の作成にとりかかったのは、なんと50才を過ぎて “隠居”の身分になってからのことです。
この程度の知識しか持ち合わせていなかった私ですが、ウオーキングの例会に参加するようになってから、大先輩を記念して「伊能ウオーク」というイベントがあることを知りました。
 なにせ歩き方に関して私は、相模の国から一歩も外へ出たことがないものですから、この行事には参加したことはありません。

滅多に伝記物など読まない私ですが、たまたま図書館の無償で古くなった蔵書を来館者に払い下げる棚にあった、童門冬二著「伊能 忠敬―生涯青春」という文庫本が目についたので、この本をいただいてきました。
 私にとっては珍しく一気に読破しました。内容は、てっきり全国を何度も行脚して測量を続けたことの苦心談がつづられているのかと思っていましたが、案に相違して、記述の大半は50才までのことでした。傾きかかっていた名門の庄屋だった伊能家に婿入りして、見事に立て直すまでのことが、記録と考証に基づいて丹念に語られています。彼は文政元年(1821)74才で亡くなっています。
 
彼の偉業を現代風に置き換えて云わせて貰えば、定年退職後に大学に通い専門コースを勉強して、後にノーベル賞に値するような大きな業績をのこした、というところでしょうか。それにしても、立派なものです。
この本の著者が「あとがき」のところでこのように語っています。そのまま引用させてもらいます。
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わたしの関心は「日本中、歩きぬいた伊能忠敬」よりも「なぜ、彼は日本中を歩けるまでになったのか」という〜ことだ。
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「ローマは一日にして成らず」ということばは、そのまま人間の生涯にもあてはまる。人間における晩年にやりたいことをやる準備とは、「三つのK」だ。三つのKとは“カネ(経済)・健康・心(精神力)”の
ことである。・・・

もし、私がこの本に20年早く出会っていたら、今の自分とは多少違った生活を送っていたのではないかと思うことしきりです。