がんばる屋号
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八柳修之 |
鎌倉の材木座5丁目に「アメリカヤ」という古い店構えのお店を見つけた。ガラス戸越しに中を覗き込むと、おもちゃや駄菓子を売っているようであった。だが、お店番もお客もおりませんでしたので、お店の名前の由来を聞くことはできませんでした。終戦後、オシャレなつもりで付けたんでしょうか。 もし戦後からあったお店とすれば、もう60年以上も続いているわけである。 子供の頃、駄菓子屋さんは宝庫であった。お店で売っていたものを思い出して見ることにした。脳学者の茂木健一郎先生によると、思い出して見ることは脳トレになるそうだ。 プロマイド、メンコ、ビー玉、ローセキ、紙火薬、花火。女の子なら、おはじき、千代紙、紙の着替人形、少し後になって色々な色のビニールの紐、お菓子類では、飴、ラムネ、カバヤキャラメル、ノシイカ、煎餅、なんやら怪しげな甘い色水などなどでしょうか。まだまだありそうです。 【後日談】 その後、アメリカヤさんの前を通ったら「当店は昭和元年創業です」という小さな張り紙が貼ってあった。おもちゃを買わずして、質問だけしてして行く人が多いからであろうか。昭和元年は1926年、創業83年、なんと戦前からあったお店なのである。とすれば、戦後、オシャレなつもりで名付けたものではない。ここからは、また私の想像の世界である。 昔、アメリカの子供たちから日本の子供たちに友情の使者として「青い目の人形」が贈られ、その返礼に日本人形を贈ったという話を思い出した。 「青い目の人形」で検索すると、埼玉県平和資料館のHPにたどり着いた。 HPによると、昭和2年(1926)に人形は贈られている。友情の使者として贈られた人形は12,739体、全国の学校などに配られた。不幸にして第二次大戦がはじまるや敵国の人形として廃棄・焼却され、現在、300体程度しか残っていないという。このお店の屋号「アメリカヤ」が、戦中も掲げられていたとすれば、「あっぱれ」である。 |