連載


―  切通し ―
黒江 輝雄
 私が育った北関東の宇都宮市には、単に通称「切通し」と呼ばれている幹線道路があります。今では立派な4車線の舗装道路で、車の往来も激しい道です。云われてみると確かに道の両側は山か丘を削ったような形跡が今でも残っています。その昔、生活道路としての必要性から道幅をどんどんと拡幅していったのだろうと想像がつきます。

 ところで、「切通し」といえば、我々ウオーカーにとってはなんと言っても「鎌倉の七切通し」です。
私も何度となくこの「切通し」を歩きました。このうちの極楽寺坂切通しや巨福呂坂切通し、亀谷坂切通し、化粧坂切通しなどは、はじめにご紹介した宇都宮の「切通し」と同じように主要道となっているので、うっかりすると昔の由緒ある切通しであることを忘れてしまいます。
その点では、名越切通しや朝比奈切通し・大仏坂切通しなどは切り拓いた当時の有様がそのまま残っています。勿論舗装もされていませんし、人ひとりがやっと通り抜けることができるような歴史を感じさせる山道が続いています。ところどころには案内板や石碑が立っていて往時を偲ばせてくれます。

 私はどちらかというと、歴史的な出来事と現在おこっている事象について見比べて考証することに興味があります。だから、七切通しのどれかを歩くたびに、何か新しい発見があります。

 毎年12月の第3日曜日にJWAが主催している、鎌倉幕府時代の七つの「鎌倉への国道」ともいうべき切通しをコースに入れた「鎌倉歴史探訪ウオーク」には毎回参加しています。