連載


 ― ウオーキング・フレンド(歩友)について ―
黒江 輝雄
  学校生活時代の友達とは今でも何人かの仲間と付き合いがあります。
毎年同窓会の案内も送られて来ます。
現役時代の会社の同僚だった人達の集まりやOB会なども毎年かかさず行われています。もっとも私の場合は年々出席率が下がっていて、折角の再会のチャンスをのがすことが多くなりましたが・・・
 昔から付き合いがある友達を誘い合ってウオーキングの仲間になってもらったという例も沢山あるでしょうが、例会では初めて顔を合わした人達と会話を交わす場合の方がむしろ多いでしょう。

 やがて「後期高齢者」の仲間に入ろうかという私ですが、ひとつだけ気がついたことがあります。我々長い間、人生を送っているうちに自然と身についた習性だと思うのですが、通りすがりに会った人や電車の向かい側に座っている見ず知らずの他人様について、無意識のうちに「この人は、きっとこのような経歴の持ち主で、なかなかの人物ではないか」とか「どうも家庭内のトラブルを抱え込んで、思い悩んでいるようだ」といったような自分の過去の経験をふまえて、「他人様の人柄や過去の経歴など」を勝手に判断するような習慣が身についているようです。
「亀の甲より年の功」というのでしょうか「人を観る目」というのが自然に養われているようです。
「年の功」も「観る目」も年々“選球眼”が落ちている事を最近は自覚するようになりましたが・・・

 毎回、顔を合わせる例会の参加者は、長い人生経験を経てこられた方々が大半です。経歴や性格も様々の方々の集団です。
でも、「一緒に歩こう!」という趣旨に賛同して集まっている仲間達です。その意味では、一緒に勉強した同級生や同じ職場で苦労をともにしてきた仲間と同じように「ウオーキング」という共通の場を共有しあっている仲間なんだ、という考え方に、最近やっと気づいてきました。
これからは、歩友とも同級生とつきあうのと同じ感覚でお付き合いさせてもらおうと思っています。