梅干しのうた

川澄 武雄
過日 遠藤・御所見地区で市老連の皆さまのウォークをお世話した。
市老連50周年記念事業「ムリのない健康ウォーキング講座」である。

小出川沿いであじさい祭が開かれていて、その周辺を歩いた。
それぞれの紫陽花には植えた人の名札がある。
「○○さんの奥さんの花はよく咲いてるけど旦那の花はだめだな・・」、「そこはウチの畑でよ・・昔は小出川には蛍がいっぱい湧いていたね」

奥さん方のこんな会話も耳に入ってくる。「ことしは梅が豊作だというのに、値段はいっこう変わらないねー」

ウォークの後、スタッフの広瀬さん、倉林さんと一緒に 「遠藤ふれあい農園」でお昼を使わせてもらった。
「ふれあい農園」は畑仕事の皆さんの休憩所だろう。野菜の即売もしていた。
ふと板壁を見上げると大きな紙に「梅干しうた」が墨書されていた。
梅干しのうた
二月三月花盛り
うぐいす鳴いた春の日も
楽しい時も夢の内
五月六月実がなれば
枝からふるい落とされて
近所の町へ持ち出され
何升何合はかり売り
もとよりすっぱいこのからだ
塩につかってからくなる
しそにそまって赤くなる
七月八月暑いころ
三日三晩の土用干し
思えばつらいことばかり
これも世のため人のため
しわはよっても若い気で
小さい君らの仲間入り
運動会にもついてゆく
ましていくさのその時は
なくてはならないこのわたし

このうたは昭和10年代のものだろう。この地域の人がつくったものか、或いはもっと広く知られていたものだろうか。現代かな遣いで書かれているが、新体詩の名残りがある見事な七五調だ。いずれにしろ、こんな詩を読むとユーモアの中にもほろ苦さが混じる。そして自分らが、ほろ苦さを実感する最後の世代だろうなと思うと少し悲しくなるのだ。

        思えばつらいことばかり
        これも世のため人のため


作者は、この2行を書いた時、平和で幸せだった家庭を想ったかも知れない。でも最後の2行をつけ加えて、きらびやかに時代を飾る。

        ましていくさのその時は
        なくてはならないこのわたし


つゆ・・
梅雨(ばいう)の呼び名は古く中国から伝わったらしい。遣隋使が梅の実を持ち帰って来た。梅の実が黄熟していよいよ梅雨本番を迎える。