雑感

 「八ヶ岳高原・別所温泉・美しい日本の歩きたくなる道500選 二ヶ所を訪ねる旅」

池内淑皓   
鞭声粛粛夜河を過る・・・・永禄四年九月十日(1561)第四回川中島の戦いは甲、越両軍三万三千、時に信玄41才、謙信32才共に天下を見据えた両雄であった。
信玄は甲斐からいち早く信濃に達するため、八ヶ岳西麓を南北に走る軍用道路を作った。世に言う信玄棒道(傍道)である。戦国最強と言われた武田騎馬隊は、この棒道を通り、軍団を疾風の如く川中島目指して駆け抜けた。

 平成21年7月18日(土)81名の参加者を得て、戻り梅雨の小雨の中を小淵沢に向かった。
例年の通り八ヶ岳ウオーキング協会 事務局長の多賀さんら13名の皆さんに迎えられて、信玄棒道ウオークを堪能した。
 道路渋滞の為、歩行時間の短縮を余儀なくされたが、雨に濡れた赤松林、唐松林の棒道は馬の蹄跡あり、黄色い“おまんじゅう”もあり、馬の嘶きが聞こえてくる様な、臨場感溢れるコースで、更に要所、要所では、多賀さんの名解説も加わって、中身の濃い貴重なウオークとなった。
 帰途松本に出たついでに国宝・松本城をちょっと見学した。平城で現存する天守閣建築では、我が国最古の城として長野県では、国宝第一号に指定した。奇跡的に火災を免れて来たのだ。
別名「烏城」と呼ばれるこの城は、五層六階の平城で、永正元年(1504)小笠原貞朝の家臣島立貞永が城郭を構築、深志城と称したのが始まりである。
八ヶ岳ウオーキング協会の多賀さん説明 松本城(別名鳥城)

 翌7月19日(日)は、会場を上田市塩田平に移して、信州鎌倉ウオークを楽しんだ。
上田には天平13年(741)聖武天皇が各国に建てた国分寺跡が在り、古くから開けていた。鎌倉時代になると、執権北条氏の直轄地となり、今も塩田平には鎌倉文化を伝える国宝・安楽寺の八角三重の塔、前山寺三重の塔(重文)、常楽寺石作り多宝塔(重文)など見所は多い。別所温泉はそのような山里に隠れるようにして、ひっそりと在る。
 塩田平は雨が降らないと言う名の通り、盛夏の中、県ウオーキング協会 桐原副会長のご案内で、社寺仏閣を訪ねながら、独鈷山(1266m)の山裾を巡り、ゴールの別所温泉「あいそめの湯」まで10km程を、幼い日に習った県歌「信濃の國」を口ずさみながら、カントリーウオークを堪能した。
 信濃の國は十州に 境つらなる國にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万足らぬ事ぞなき

 ゴールの「あいそめの湯」に到着して驚いた。別所は、私が昭和19年東京御徒町の自宅から強制疎開したところで、昭和24年小学一年生に入学した別所小学校の跡地だったのだ。徒競走で一番になった校庭、当時の桜の木が数本残っていた。60年も前の事である。北向き観音で、お袋がお菓子を売っていたこと、大師湯、石湯(銭湯)に五銭で入浴していたこと、懐かしさで胸が締め付けられるように痛む、いつまでもその場に座っていた。
 やがて無情な別れの時が来る、後髪を引かれる思いで車窓の人となった。  完
前山寺三重の塔(重文) 「あいそめの湯」(別所小学校の跡地)