紀行文

「 風 」 
川澄 武雄        
   
鎌倉の釈迦堂切通しへ往くときはいつも気持ちがワクワクする。
大好きなのだ。畏怖に似た自然神への憧れがある。金沢街道、
杉本観音のさきを滑川を渡って田楽辻子の方に歩く。

釈迦堂ケ谷への道

このあたりは釈迦堂ケ谷と呼ばれ、いつ来ても風が吹いているのが不思議だ。
天気のいい時しか来ないから鳶やウグイスの声が山里にこだましている。
ほかにも野鳥の澄みきった鳴声が多い。ここから切通しまで500mくらい。
釈迦堂の由来は 元仁元年(1224年)、執権北条泰時が父義時の菩提を
弔うためこの谷に釈迦堂を建てた為といわれるが、その場所は 未だにわか
らない。幻の寺である。
保存樹林

切通しは崩落の危険があるため通行禁止になっている。それでもファンは
多い。切通しから200mくらい手前にペンキが真新しい白い板が立っていた。
「通行禁止」と大きく赤書された板が頑丈な鎖と繋がって人の侵入を防いで
いる。しかし私のように信仰心の篤い人はそのまま進むことができる。
両側の山は緑樹が深い。昭和49年(1974)来、保存樹林に特定されている
自然林。木々の枝や葉が重なり、ザワザワと風が渡る音がする。陽はすでに
木漏れ日で風は冷たく、山道はいつも濡れている。

釈迦堂切通し(浄明寺側)
    
二度目の警告は「通行止」と「落石注意」に変った。これにもめげず
果敢に進む。森に妖気があり風もいつしか湿風に変っている。土や苔の
匂いがする。数年前、台風の通過後に来た時は泥の匂いがあたりに
充満していた。土砂崩れの前に泥の匂いがする、というのはこれか・・と
怖い思いをしたことがあった。
とつぜん眼前に釈迦堂切通しが現れる。怖い!その威容に圧倒される。
何度来ても慣れることが無い。恐る恐る見上げて立ちすくむだけである。
大きな口から10mほど離れた所で背を向けて強い風をうける。ビル風と
同じ理屈だが大洞を抜ける自然風には、風に打たれる思いがする。

釈迦堂切通し(大町側)
    
「もう今回を最後にしますから向こうへ行かせてください」と真剣に祈る。
なんか「スヌーピー」のチャーリーブラウンの気持ちになるのがおかしい。
「通行止」といわれても反対側の口の写真を撮るには4、5kmも迂回
せねばならないのだ。その日の朝は大分で震度5弱の揺れがあった。
決死の思いで息を詰めて向こう側へ抜けた。そこはあかあかと日光を
浴びる大町の住宅街だ。車の音も聞こえる。ほっとして水を飲んだ。
切通し天井

切通しの天井を撮りたい!太陽を背にするとなぜか元気になるのが
不思議だ。「もう最後だから・・」ともう一度お願いして、10m近い切通しを
歩きながら夢中でシャッターを押す。
もとの場所に戻った。なんとか天井が撮れているのを確かめて、風に
吹かれていた。なにか一仕事終えた安堵感があった。すると後ろから
重量感のあるダミ声が落ちてきた。「そこな野球帽の小僧!なんだ爺か!
無作法もいいカゲンにしろ!次にくる時は酒くらい振舞え。守護神に
なってやっからサ」と・・確かに聞こえ
た。