平成・奥の細道ウォ−ク(1)         

300年の時空を超えた

春日部―小山 の巻
池内  淑皓

平成15年9月13日(土)晴れ

22隊に分かれ、桃太郎旗をなびかせて、1300人余の隊列が日光街道を通過する様は圧巻である。道行く人は皆一様に「何事ですか」と聞いてくる。私達は、「松尾芭蕉の足跡を訪ねながら、一路青森を目指します」と答えると、「エエッ!」と言ったきり “ぎょうてん”。
明治の戊申戦争以来の行列だよ、と言っていた。先頭から殿まで通過するのに20分もかかってしまう。
 芭蕉と同行の門人曽良の日記によれば、「巳3月20日同出、深川出船巳ノ剋千住ニ揚ル。27日夜粕壁ニ泊マル江戸ヨリ9里余」と記述されている。
 さて、私達も芭蕉が泊まった東陽寺を後に小山宿へ向かおう。春日部、杉戸、幸手、栗橋あたりは昔の面影がわずかに残り、路傍の道しるべ、一里塚跡、芭蕉の句碑等が残っているのが嬉しい。杉戸宿先の永福寺には、文治二年(1186)西行がここを通った「見返りの松碑」が残っている。
 やがて日光街道は利根川にぶつかり栗橋の関所にさしかかる。
正式には「房川渡中田関所」と言う。この関は、寛永元年(1624)から明治に至るまで、箱根、碓井の関と並ぶ関東の抑えの関として、奥州街道では唯一の関所であった。
曽良は日記の中で「コノ日栗橋ノ関所通ル手形モ断リモイラズ」と記している。

平成15年9月14日(日)晴れ

 今日は古河宿を出発して小山宿まで21kmを歩きます。
古河宿は鎌倉時代から120年余にわたる古河公方の時代を経て、土井家等老中格の譜代大名が城主となった城下町である。
日光、奥州街道の宿駅として、古くから商業中心に発展し、由緒ある社寺や商家の歴史的町並みが残っている。
 古河市長の見送りを受けて市役所を出発します。利根川と別れ、渡良瀬川沿いに道をたどる。やがて恩川のほとりを歩くようになると深々とした神社の杜が見えてくる。野木神社、間々田八幡宮には芭蕉の句碑など読みながら、ホッ!と一息つける木陰がありがたい。程なく小山氏の城跡を過ぎれば、ゴールの小山市役所は指呼の中にある。      この項 完
江戸道標 栗木関跡1
栗木関跡2 2003年西行隊
日光道標 西行見返り松碑