紀行文
川澄 武雄 |
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8月につづき9月にも箱根湯坂道を歩いた。緑濃い山中に、やさしい 姿の石仏や、きれいな草花が多く 秋の気配が漂う鎌倉古道であった。 箱根のハイキング 人気コースの風景を見てください。 数百年の歴史を経て、今は緑の草がむす なだらかな峠道になっている。 9月 さすがに秋のはしりで、萩や、はなすすきなど秋の草花が咲き乱れて いる。
元箱根 精進池のあたりで、やさしい石仏・石塔の群を見た。 案内によると、この付近は当時、湯坂道では最も険しい峠で、厳しい気候と、 火山性の荒涼とした風景であったためか、「元さいの河原」とよばれて いたらしい。 磨崖仏の周囲を赤とんぼが小さな群で飛んでいた。子供の頃、赤とんぼは 精霊となった故人の姿だと、聞いたような記憶がある。
鷹巣山(834m)から浅間山を越えて、箱根湯本まで6kmの道は急な山坂も ある。箱根町のガイドさんがいて、この急坂について「十六夜日記」に出て くる・・と何度か話してくれた。「十六夜日記」は高校時代の古典で読んだ はずだが・・。ついでのことで、そのくだりを載せておく。 |
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羅漢像 | ||||||||||
阿仏尼はその名の通り尼さんだが還俗したのではなかったか?この人は 実質的な冷泉家―歌道師範の家−の祖である。10年ほどまえに上野で 冷泉家至宝展があって、その折 尼の若いときの肖像画を見たことがある。 10代で皇女につかえたが、ある貴族との恋が壊れ仏門を叩く情熱的な人。 「十六夜日記」は、はるか後年 荘園の遺産問題がおきて、鎌倉へ訴状を 出すために下向した折の旅日記である。鎌倉英勝寺あたりに墓があった はずだ。 |
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天下の景勝、箱根の秋はこれからがいい。山や湖をまた訪ねたいと思う。 |
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千条(ちすじ)の滝 |