イヤーラウンド鎌倉山コースぶらぶら歩記(あるき)  

八柳 修之
「鎌倉山コース」は関水スポーツをスタートとし、片瀬山、西鎌倉住宅地、鎌倉山、行合橋、七里ガ浜、腰越から関水スポーツに戻る18kmのコースであるが、鎌倉山から腰越までを中心に図書・資料なども参考に紹介したい。(参考文献は末尾に記載)

関水スポーツから奥田公園を出て境川右岸を下る。新屋敷橋を渡り、片瀬山住宅地への坂道を上る。突き当りが片瀬山市民の家、片瀬中学前の信号を渡り左側の歩道を歩く。校門の脇に「かたせ古今東西」という片瀬地区の歴史と地図の案内板がある。片瀬山は獅子文六の小説「大番」のモデルとなった相場師佐藤和三郎が経営するゴルフ場があった所、昭和42年から三井不動産が開発・分譲した高級住宅地である。
まだ、坂道は続く、片瀬山内科医院の先の信号、角に白い建物のGallery燦(さん)がある。左に曲がって突き当りまで直進、下り道となる。途中、右側にモノレール「片瀬山」駅への入口がある。突き当りK氏宅と氏家歯科の間の道を下り直ぐバス通りに出る。

今度は西武が昭和40年頃から分譲した西鎌倉住宅地である。西鎌倉という地名は津村、腰越の一部から独立した大字、鎌倉に住む、という憧れで多くの人が移り住んだ。住宅地を横断する道の名は西鎌倉並木通り、樹木はプラタナス、鈴懸の道だ。下って行くに従って日用品、理髪・美容院、医院、歯科、郵便局、食堂、新屋敷橋の角にあったパン屋さんPINYなど一通りの用事と買物ができるお店がある。
やがて県道「腰越大船線」を横断する歩道橋、右にりそな銀行、左にローソンがある。
橋を渡り、西鎌倉小学校正門前、住宅街を道なりに進み突き当りを右折する。排水溝に沿って緩やかな上り、右にO氏の大きな敷地がある。突き当りが低層マンション、左に曲がってバス道を上っていくと洒落たレストランや喫茶店、やがて鎌倉山のロータリーの石柱が見えてくる。

石柱には、鎌倉山、建国記念日 二月十一日と刻まれている。関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居を使ったものという。ところで、この鎌倉山であるが、鎌倉山という山があったわけではない。鎌倉山の初見は万葉集巻十四に「薪伐(たきぎこ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ」と詠まれたという。しかしこの歌に詠まれた鎌倉山は特定の山を指すのではなく鎌倉を取り巻く山々を詠んだものという。そして、昭和4年、実業家、政商ともいわれた菅原通齊が名づけ別荘地として売り出したのが始まり。(政治家の望月圭介の命名という説もある)分譲にあたっては一区画500坪、大船、鎌倉山、江ノ島を結ぶ自動車専用有料道路を造り東京への好アクセス、高級別荘地を売り物にしたという。私の記億では昭和45年ころまで有料であった。ロータリーは十字路になっており、角にサンルイ島というお菓子屋さんがある。右側から上り道、ここから鎌倉山さくら道が始まる。歩道部分が狭いから車に気をつけて上ろう。しばらく行くとHouse of potter(陶工の家)という南欧風の喫茶店がある。男一人では入りくい感じである。

その先、右手に歌人「佐々木信綱の文学碑」がある。「日ぐらしに 見れどもあわずここにして 富士は望むべし 春の日秋の日」、ここから富士山が観えたようだ。
上り道はバス停見晴まで続く。見晴というだけあって、見晴らしがよい。蛇足ながらバス停手前のお米屋さんの角からの小道を入ると、最近まで山椒洞という懐石料理屋があった。昭和8年、時の法相岩田宙造の別荘でのち女優田中絹代も住んだという鎌倉市景観建築物であったが、解体され、今をときめくTV司会者MMが買い取ったとか。

見晴のバス停から100mほど先、左手、大な木の下に鎌倉山記という石碑が立っている。碑文には、平将門の天慶の乱から鎌倉山に別荘が切り開かれた昭和の初め頃までの事が書かれている。この碑のある所から夫婦池公園に下りる道が整備され、また碑の左側の小道はバス停若松へショートカットできる道である。
鎌倉山記から約200mほど行くと、蕎麦どころである。
海抜約60m、山門は元鎌倉西御門にあった高松寺の山門(1700年頃)を昭和6年にこの地に移築したとの案内板がある。中に入ろうとすると入場料500円、500円はそば代に充当するという。江戸時代の豪農の家を移築した本館が蕎麦処となっていて、広い回遊式庭園の散策も楽しめるというから、一度は入って見たいところだ。

さらに先に進むと、右側に昔懐かしい赤い丸型ポストがあり喫茶店「マウンテン」がある。さくらアイスクリーム300円の貼り紙がある。ちょっと先にはボンジュールというパン屋さんに「こんにちは」してもよい。この辺りからバス停旭ヶ丘付近までの桜は、老齢と排気ガスで桜の木が少なくなったさくら道になかでも元気な桜が残り美しい所である。

右側を進むと、棟方板画美術館がある。版画でなく板画とあえて称したのは、棟方が「板の命を彫り起こす」という芸術観によって新しい板画の世界を生み出したという。
美術館は棟方が晩年を過ごしたアトリエの跡地に建てられたものである。入場料500円、10時~16時、火曜日休み。


突き当りまで進むと視界が開け、海が一望できる。だが、目下、開発中、やがて眺望がきかなくなるかもしれない。右に曲がる。数年前までは道の左手からは、海が観えたが、斜面が開発されて殆ど観られなくなってしまったが、まだ桜の木は残っている。突き当りが広町の森への入口であり出口である。


急なコンクリートの階段を下りて左へ曲がる。道なりに七里ガ浜住宅を外周し下って行くと、変則十字路に出る。七里ガ浜東つつじ公園の前を通り、電話ボックスすぐ先の角を右折すると、みどりのプロムナードという住宅地のなかに計画的につくられた道、樹木には名札と説明がつけられ、さながら樹木の展示場、所々にベンチもある。やがて道幅が広くなり小公園、西友ストア、食事処などがある広場に出る。カレー屋さんの前は待つ人でいっぱい、ベンチがあるので、ここで一息入れるのもよいでしょう。

この先、七高通りという下り坂となり、右側はゴルフ練習場、鎌倉プリンスホテル、次第に海が迫って来ます。江ノ電線路を横断して海岸に出ると、左は稲村ケ崎から三浦半島、遠くに伊豆大島、右は江ノ島、富士山が観られれば最高です。
行合橋信号の手前のセブンイレブン七里ガ浜店がチェックポイント、電話ボックスの横にスタンプ台があります。

         
行合橋からの眺望 鎌倉高校付近 腰越商店街を通る江ノ電

これから先は海と江ノ島を眺めながら、運が良ければ前方に見える富士に向かって江ノ電沿いの道を歩く。鎌倉高校前から眺める江ノ島は撮影ポイント、小動(こゆるぎ)交差点で国道と別れ、右側の腰越商店街を直進します。腰越駅の手前、義経の腰越状で有名な満福寺に寄るのもよいでしょう。腰越状の下書きが今も残されている。門前を江ノ電が通る。腰越商店街は街の中を電車が通る珍しい風景、名物釜揚げしらすを売り物にする食堂、鮮魚店、干物屋などがあります。
               
日蓮の法難で有名な龍口寺に到着、日蓮がここで斬首されかかった時に突然、光る物体が現れ処刑を免れたという伝説が残る。
刑場跡は山門横にある。蛇足ながら日蓮の処刑が中止された奇跡を鎌倉に知らせる使者と日蓮の赦免を知らせる鎌倉の使者が出会った所が、チェックポイントの行合という地名の由来である。
龍口寺門前を左折しバス停江ノ島駅前手前のY字路を右折、道なりに進むと旧江ノ島道、常立寺は北条時宗に処刑された蒙古元朝の使者の塚、枝垂れ梅は有名、このあと、本蓮寺、密蔵寺、上諏訪神社、泉蔵寺などの寺院、杉山検校が建てた道標などを見ながら新屋敷橋まで、境川に出て今度は左岸を歩き奥田橋を渡ると奥田公園、ゴールの関水スポーツは近い。コース中、公設トイレがないのでコンビニを利用してください。

参考文献:
神奈川の歴史散歩  神奈川県高校教科研究会編著  山川出版社
鎌倉のあるきかた ゼンリン
鎌倉・三浦半島おもしろ地名考  三浦一男 多摩川新聞社