「連載」

   
                  

池 内 淑 皓
  今回は、赤坂御門前から歩きます。
 
赤坂御門跡
地下鉄赤坂見附駅で下車し、赤坂方面変則五差路の交差点側に出る。
明治の赤坂御門

 東京方面(東)に坂を上ると国指定史跡赤坂御門跡に出る。赤坂御門は寛永13年(1636)筑前福岡藩主黒田忠之が石垣を造営。同16年御門普請奉行加藤正直・小川安則によって完成したが、明治に入って取り壊された。僅かに石垣の遺構が残されている。
 西の方を見ると、目の前に赤坂プリンスホテル(紀州藩の中屋敷跡)、前方にはホテルニューオータニ(彦根藩井伊候の中屋敷跡)の建物が聳えている。尾張藩の中屋敷は上智大学一帯で、このあたり各藩の名前を取って紀尾井町と言う。

 道は登ってきた坂をもう一度弁慶堀沿いに下って弁慶
弁慶掘から桜田門
橋に出る。この橋を渡って300m程行くと明治の元勲大久保利通殉難の地として碑が残っている。明治11年5月赤坂御所に向かう途中の出来事であった。
 橋に戻って、サントリー美術館前の青山通りの坂を上る。この道が矢倉沢往還大山道。矢倉沢往還と言う名は、この街道が西に向かって行くと箱根外輪山に突き当たる。ここに矢倉沢と言う村落があり、関所が設けられていたので、ここまで至る道を矢倉沢往還と名が付けられた(天正年間に設置され、箱根脇関所の一つ)
 さて坂の途中右手(進行方向以下同じ)に豊川稲荷がある。この敷地は大岡越前守の屋敷跡で、大岡紀伊守が文政年間に三河の豊川稲荷を勧請したものである。坂の右側は東宮御所で、秩父宮、三笠宮家の邸宅が並でいる。
坂を上りきると左側に有名な羊羹の「とらや」本店がある。おやつ代わりに1本購入しよう。
 「とらや」から300m程で左側に高橋是清記念公園がある。彼は日銀総裁、大蔵大臣であったが2.26事件のためこの地で暗殺された。彼が住んでいた2000坪の屋敷を都に寄付したと言う。庭園は当時のまま保存されている。
 道は青山に入る。青山と言う地名は、家康が江戸に移住した天正19年、青山忠成がこの辺り一帯を賜った土地であるから名が付いた。忠成の子忠俊は三代将軍家光の守り役の一人で、後に老中となっている。
 交差点で青山1、青山2、青山3丁目と過ぎ、表参道交差点の100m手前右側に善光寺がある。この寺は、信濃善光寺の別院として慶長6年家康の勧請を受け、谷中に設けられたが、元禄17年この地に移された。寺の境内左手に高野長英の記念碑が建てられている。
 長英は天保10年幕府政策を批判して永牢の刑(蛮社の獄)を受けるが脱獄し、諸国を逃げ回った後、この地に来て医者を開業していたが、嘉永3年捕らえられ死亡。捕らえられた場所が、ここから400m先地下鉄表参道駅渋谷方面出口、spiralビルの脇に都史跡として残っている。彼は明治31年正4位を贈られた。
 さて道は青山学院、国連大学本部前を通り宮益坂(みやますざか)上の交差点にでる。
 大山道は中央の宮益坂(別名富士見坂)を渋谷郵便局方向に下る。本来ならばこの交差点に大山道の道標があったが撤去されてしまった。郵便局を過ぎると右手に村の鎮守、御獄神社がある。
 このお宮の御利益で益々栄える村と言う意味で、元禄13年に宮益村の名がついた。ここから富士山が良く見えたと言う。今は由緒あるお宮もビルの上に鎮座している。
 道はJR山の手線のガードをくぐり、渋谷駅ハチ公の前に出る。ここまで赤坂御門前からぶらりと歩いて2時間位で到着するから一休みしたい。
 渋谷の名の起こりは、鎌倉時代この地を拝領した渋谷盛国に由来している。兄の重国は相模国高座郡に領地をもらい、渋谷と言う地名が出来た。現在小田急江ノ島線に高座渋谷の駅名で残っている。
道玄坂
 一休みしたら、まっすぐ道玄坂を上る。この道玄坂のいわれは、鎌倉時代和田義盛の乱で滅んだ残党が渋谷氏をたより、のち大和田道玄と言う者がこの坂の上で庵を造って住んでいたのでその名がついたと言う。現在坂の上、左手にそのいわれの案内板がある。
 道はそのまま直進、神泉町交差点を過ぎて、100m先で坂を右手に下る。大坂と言うこの坂は、大山街道48坂の中で中最も険しい坂の一つと言われている、その坂のいわれが傍らの標注に記されている。ここはまた往来の荷物引継ぎ場所であった(立場)
大橋氷川神社の大山道標
 道を下りきると山手通りに突き当たるから、左手の信号を渡って緩やかに坂を登ると氷川神社に出る。社殿は天正の頃、武田氏の家臣加藤氏が勧請したと言う。
 初めて大山道の道標に出会う。元は大橋の交差点際にあったが、道の拡幅工事のため神社入り口に移された。正面に 大山道 せたがや道、玉川道 と刻印されている。
三軒茶屋の大山道標
天保13年寅正月吉日建立と読める。
 街道は目黒川を越えるが、この橋が大橋で、橋は現存しているが、川は暗渠となって駐輪場に変わってしまった。
 
大山道は地下に潜った東急の池尻大橋駅から左手の脇道、喜久薬局前の道を行く。400m程で池尻稲荷に出る、境内から湧く井戸水は、枯れることなく旅人の喉を潤したと言う。鳥居前に最近大山道の碑が作られた。
 道はまた高速道路(246号線)の下に出て1km程で三軒茶屋の交差点に出る。
 このY字路に不動明王が乗る立派な大山道の道標がある。正面に左相州大山道と彫られている。寛延2年建立(1749)、文化2年建立(1805)、文化9年建立(1812)であるから代々建てかえられていたのであろう。右に行く道は富士、世田谷、登戸道と記されている。
 渋谷からここまでゆっくり歩いて1時間ちょっとの距離である。
                                    つづく