紀行

「茅ヶ崎 烏帽子岩」

    川澄 武雄  

茅ヶ崎のウォーカーが烏帽子に行こうよと誘ってくれた。茅ヶ崎市観光
協会が主催するものである。海上風もなく穏やかな冬晴れの日であった。


烏帽子岩は茅ヶ崎海岸の沖合1.2kmにある岩礁である。正確には姥島と
いう東西100m 南北60mほどに広がる岩場があって、その中でひと際
高く聳えているのが烏帽子岩である。岩礁の成り立ちは300-600万年前
と聞いた。潮の干満は岩場が見えるか否かでわかる。満潮のとき岩場は
すっかり海面の下で、烏帽子岩しか見えない。
そんな烏帽子岩は、堂々として湘南茅ヶ崎市のシンボルなのである。

船は茅ヶ崎漁港からでた。釣り船が4,5隻仕立てられた。茅ヶ崎の海は
昔から磯釣り、沖釣りの人気スポットである。従がって烏帽子岩周辺は
釣り船が多いし、烏帽子岩への渡船もある。水深はおよそ20m。
アジ、キス、クロダイ、サヨリなどが豊からしい。
釣り人たちよ・・潮が満ちる前に離れるんだよ!


江の島・片瀬海岸から茅ヶ崎海岸まで約10q、海岸沿いにサイクリング
ロード(遊歩道)が伸びている。茅ヶ崎海岸までは、きれいな冬の富士を
見ながら自転車で走って来たのだが、乗船して船が烏帽子岩に到着した時
富士は雲に覆われて頂上しか見えてなかった。
それでもさすがに間近で見る烏帽子岩は波濤に鍛えられて稜稜としている。
14mというから3,4階のビルの高さだ。高所は海鳥たちの糞で白壁でも
ある。岩礁は波浪に洗われ、ヒジキやハバノリなどの海藻で覆われている。
私は半世紀前に上陸して以来なので大変なつかしかった。



岩場の向こうに江の島や鎌倉の山が見える。拙宅に近い辻堂海岸は、丁度
江の島と茅ヶ崎海岸の中間にある。辻堂海岸は終戦まで日本海軍の演習場
であった。そして戦後は米軍に接収され、米海軍の砲撃演習場となった。
この時、米軍は烏帽子岩を砲撃の的にして、烏帽子岩先端の1mほどを
吹っ飛ばしたという。その後陳情によって烏帽子への砲撃は止んだらしい。


茅ヶ崎の海水浴場が桑田佳祐の“サザンビーチ茅ヶ崎”という名称に
なって10年ほど経つだろうか。そのごChigasakiのCをかたどった
モニュメントができ、そこから見る烏帽子岩がよく雑誌などに紹介されて
いる。あいにくこの日は護岸工事のため、サンザンの光景だが・・。


茅ヶ崎は私にとっても特別な土地である。半世紀前、大学時代 夏休みの
半分を毎年茅ヶ崎で過ごした。個性的な若人が不思議と多く集まり私には
大変なつかしい時代であり、場所なのである。当時、市内に舗装道路は
一中通り一本きりしか無かったと思う。街のあちこちに松の大木も多く
見られて、“湘南”の雰囲気がまだまだ濃厚にあった。

「烏帽子岩と富士」

最後に烏帽子岩に誘ってくれた中村弘道さんの画を挙げたい。
中村さんは茅ヶ崎市在住のFWA会員である。会報「湘南ウォーカー」に
これまで何度も作品を寄せていただいた。カラー刷りした今年の1月号
では、「晩秋の箱根湿性花園」を提供して貰ったが これは会員の間で随分
評判が良かった。この画は昨年箱根彫刻の森美術館が後援・開催した
「箱根風景画コンテスト」(箱根町主催)で入選したものである。