紀行文

モンゴルを歩く

(3)

2006年8月5日〜8月19日の記録
池 内 淑 皓
お父さんの仕事を手伝って見よう
牛車を曳いて森へ枯れた唐松の伐採
 お父さんに、今日薪を作るので手伝って欲しいと云われた。木は近くの山に入って枯れたシベリア唐松を伐る。材木は無料でなく、年間6,800Tg(約680円)を国に支払う。
その後お父さんは家畜の放牧と、ゲルの修理をする。
家畜の放牧は、牧民が肥沃な牧草を求めて好き勝手に放牧出来ない。家毎に放牧する範囲が決まっているのだ。これは社会主義時代に確立されていて、一つの大きな集団を「ソム」と言い、ソムの中に4つの集団を作る。この集団を「バグ」とう。一バグの中に約24家族が居住し、バグの中で放牧を行う。放牧の範囲は抽選で決められる。
鋸で曳いて輪切りにする(後方は住まいのゲル)
家族間の距離は3〜20km位離れていて、この範囲内では自由に放牧来出来る。ソムの広さは40〜80kmもある。
一家族が一日で乳を処理出来る量が20〜50L位であるから、必然的に放牧出来る家畜の数が決まってくる。私がホームステーしたフルダチュル家は、5畜混ぜて100頭ほどの規模であった。
輪切りした唐松を鉈で薪に割る(後方はお父さん)
この規模では決して豊でなく、換金出来る物が乳製品以外にない。長男はツェツェルレグにある学校の寄宿舎にいるから、その費用ために羊を売ることになってしまう。羊は牧民の貴重な財産なのだ。
 バグにはバグ長(日本の村長のような人)がいて、牧地の配分、牧民達の世話、政府からの伝達事項の周知、税金等の徴収、集会場の管理等を行っている。
バグ長は公務員で、国から給料が支払われる。バグ外に出る(移住)にはバグ長、ソム長の許可が必要となる。
モンゴル国の識字率は95%で、アジア諸国の中で抜きんでている。夜、子供達はローソクの光で一所懸命に勉強している、昼間は家畜たちの世話があるからだ。この村には未だ電気が来ていない。
集会場には外国の援助によって太陽光発電が導入されていて、電灯とテレビがついている。大相撲の放送が始まると、牧民達が大挙して馬で駆けつけて見に来るとの事です。
 

住まいについて説明しよう

荷車一台に一棟積める  骨組みを組み立てる フェルトを張って出来上がる
 住まいは「ゲル」と言う唐傘のように中央に棒(バガナ)を立て、88本位の傘の骨(オニ)を広げて、柳の木で作った木組みの壁(ハナ)と紐で結びつけて全体の骨組みが出来上がる。
オニにビニールシートを掛けて、フェルトで覆い、ロープでフェルト(ガドールブレース)を縛り付けて出来上がる。この地方ではヤクが放牧されているから、ヤクの毛でロープを作り使う牧民もいる。ゲルの内部は入口を入って左は薪、水容器置き場と作業スペース。
その隣がお父さんのベッド(オル)、中央がタンスと上に仏壇、子供のベッド。
 入口を入って右側は台所、食器置き、その隣がお母さんのベッド、その隣が衣装タンスと鏡台または子供のベッド。ゲルの中央にはストーブ兼かまど(ゾーホ)、そして隣にテーブルと椅子。
その他ゲルの移動のためによけいな物は一切ない。牧民達は1時間以内に解体、組み立てが出来ると云う。その他もう一棟ゲルがあり、ここには物置として収穫物、道具類、馬の鞍、衣装等が入れてある。荷物は、牛車二台に収まる量となっている。
 牧民は、夏の放牧地と越冬地が別になっている。夏は平地で牧草が良く育つ南斜面で、近くに水場があること、冬は北風を防ぎ積雪の少ない場所に移動する。ハイルハンは−30度を下回る寒さなのだ。家畜達は雪をかき分け枯れた草を食べる。(つづく)