随筆
川澄武雄 | |
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辻堂海岸の遊歩道はよく例会でも歩く道だ。この遊歩道に「浜辺の歌」 作詞場所 というボードが立っている。作詞の林 古渓(1875-1947)は、父 が羽鳥学校(現在の明治小学校の前身)の教師で、幼少時に辻堂駅近くの 羽鳥に居住していて海辺をよく訪れていたらしい。後年、当時を思い出し 「浜辺の歌」を作詞したといわれる。これに流れるような旋律がついて、 今も愛唱されている。古渓が両親に伴われて辻堂海岸に来た頃は東海道線 辻堂駅も江ノ電もまだ開業していない。鵠沼の別荘地も未だである。 |
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文部省唱歌や明治以来の愛唱歌とかいわれる歌には、今に歌い継がれる 名曲が多い。「故郷」「荒城の月」「花」・・近代国家として、大急ぎで音楽も 興さねばならなかったのか。かねて文部省唱歌についての資料を読みたいと 思っているのだが文献は少なそうだ。 |
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